国民の敵・小西洋之VS保守政治家・高市早苗3.11以降、福島県内で極左が勢力を拡大している

2023年03月10日

俗物根性丸出しで上っ面だけを取り繕ってる輩が苦手(笑)

 危機的財政の中でも気合が入らないのは老化の所為だろうか。金策のことを考えると精神的に悪いのでマメにブログを更新して気を紛らわせている。今年になってからは毎日アップしてる。閑なので筋トレする時間が多くなり筋肉も史上最高(笑)

 政治の現状を憂い、若手活動家らに少しでも示唆に富んだ蘊蓄を綴ろうと、徒然なるまゝに筆代わりにキーボードを敲いてはいるが、そんな政治批評なんかよりも眼前に在る危機的不如意こそどうにかせねばならないと痛感するが、努力に乏しい。

 閑話休題。思想家や哲学者と言われる人物の中では西晋一郎が好い。西の西田幾多郎、東の西晋一郎と共に「両西」と言われた重鎮で、昭和天皇に論語の「漢籍」の進講をされたこともある、戦前の日本を代表する哲学者である。

 拙ブログの冒頭には西晋一郎の、「我が民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、君国に忠、親に孝なるは最も現実なる道徳である。之を離れては人類愛も世界的正義も空想に過ぎない」との言葉を記している。

 西晋一郎の言葉は単純故に心を打つ言葉に溢れている。「教えるとは実に教えられることである」という言葉があるが、子育てで知る親の思いや、生徒を教え乍ら実は教わっていることを悟る先生の思いを簡単且つ明快に表している。

 愚生は、俗物根性丸出しで上っ面だけを取り繕ってる輩が大嫌い。右翼にも陽明学や四書五経をひけらかしている先生方がいるがどうも苦手である(笑)

 そこから発せられる言葉は請売りの衒学臭いものばかりで、故に全く響くものがない。そんな本人らは右翼浪漫派と思ってるらしいが、勘違いも甚だしい。

 実践の伴わない言葉は確かに綺麗ではあるが、重みを感じない。例えば、教育勅語を諳んじれたとしても、夫婦や兄弟や友人との仲が悪かったり、「恭倹己を持し」と言い乍らもオレがオレがとしゃしゃり出て来るナンチャッテ右翼ばかり。

 道徳の授業が満点でも実践しないなら意味はない。困ってる人がいたら手を差し伸べるというのは頭では理解しても、行動が伴うというのは意外と容易ではない。

 愚生も、ブログやSNSに衒学臭げな蘊蓄を綴ってはいるが、啓蒙というには烏滸がましい。ブログやSNSは備忘録というより、日々書く綴るということで、また反論することで自分自身の思想や理論形成に役立つならそれに越したことはなし。

 哲学者というか、陽明学者であり、思想家としても夙に有名なのは、「昭和最大の黒幕」と評された安岡正篤だろう。だが、安岡の言葉というのは確かに立派なものが多いが、愚生には伝わってないというか、余り心に響かないのは何故だろう。

「知行合一」を身上とする陽明学者である安岡が、晩年は銀座のママの色に溺れ、糟糠の妻を裏切ったということがどうも気にかかってしまうのだ。晩年、「安岡は認知症だった」という話も聞く。だが、認知症患者が銀座に足繁く通うとは思えない。

 要は、若い頃に遊んでいないから、年老いて安っぽい女に狂ったのだろう。そういう意味では、我が国の至宝ともいうべき安岡と雖も、愚生と変わらないスケベなおっさんだったということだ。そう考えれば、親近感が湧かないでもないが(笑)

 安岡を手練手管で陥れたの女性こそ、銀座のクラブのママだった細木数子である。ヤクザの情婦だった細木は、政財界に顔が利く安岡を利用し、裏社会から、表舞台に伸上がり、後にインチキ占い師としても大成功を収めることとなった。

 偉人の含蓄のある言葉にしても、陽明学や四書五経にしても、感じ入ったら如何に身に着けて実践するかという努力が大事。実践が伴なわければ、単なる請売りの上っ面の学問でしかない。実践して失敗しそこから何を学ぶか、そこが問題。国士舘の「読書」「体験」「反省」「思索」の四徳目は実に理に適っている。

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cordial8317 at 05:56│Comments(0)

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