「人生会議」は家族や身内は勿論、身近な人にも話しとくべし!多くの偉人が「戒語」を遺したが戒語とは己の経験に基く自戒である

2019年12月01日

1年というのは実に早いもので、あっという間に師走かぁ(笑)

 本日は師走朔日ということで朝まだ気から身を清め、神饌を替え、神前に向い、畏くも天皇皇后両陛下の弥栄を祈念し、併せて心願成就を懸けた。

 早いものであっという間に師走となった。1年の感じ方というのは1歳なら1㌔、40歳なら40㌔、80歳は80㌔と、年齢と同じスピードで過ぎるという。愚生というと59㌔、どうりで1年が年々早く感じる訳だ(笑)

 子供の頃というのは1年がホント長く感じ、学校へ行くのも億劫で授業が長く感じた。この長く感じるのは記憶が確りしてるから。歳を取ると記憶が曖昧になり、昨日の出来事や何を食べたかさえもよく覚えていなくなる(笑)

 閑話休題。先日、地元紙に「憲法改正議論は憲法第一条から第八条の条項から議論せよ!」という内容の投稿をしたが採用される気配もない。

 今日は日曜日ということでいつもの左翼の婆さんがいつものコラムに登場してる。出だしこそ「桜を見る会」の騒動を批判しているのは好いが、結局は韓国のGSOMIAの離脱の根幹は徴用工だとの御認識を披歴。

「もし私たちが有無を言わせず徴用され、悪い条件の工場や炭鉱で働かされたらどんな思いをするのか」と問いかけている。

「国民徴用令」は、昭和13年の「国家総動員法」に拠るもので、翌年7月に実施された。朝鮮や朝鮮人への適用は差し控え、戦中、日本本土では中高年、婦人、学生に至るまで工場他に動員され生産に従事した。

 戦前(昭和14年)に日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人だった。その後には増え続け、終戦直前(昭和20年)には約200万人となった。

 増加した100万人の内の、70万人は自分から進んで日本内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生に因るものである。

 残りの30万人は大部分が工鉱業や土木事業の募集に応じて来たもので、これは徴用ではない。「国民徴用令」に拠る徴用労務者は極少数である。

 朝鮮人が徴用の対象になったのは昭和19年9月が最初で、奉仕期間は翌年3月の下関~釜山間の運航が止るまでの僅か7ヶ月間しかない。

 因みに、終戦後の昭和20年8月から翌年3月まで、希望者が政府の配給や個別引揚げで合計140万人が韓国に帰還している。

 北朝鮮へは昭和21年3月、連合国の指令に基づく北朝鮮引揚計画で350人が帰還するなど、終戦時までに在日していた者の内、75%が帰還している。

 戦時中に来日した労務者、復員軍人、軍属などは日本内地に馴染みが薄い為に、終戦後に日本国内に残留した者は極少数である。

 これらの調査が行われた昭和34年、登録されている在日朝鮮人は総計約61万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労務者としてきた者は245人。現在、日本に居住している者は自由意思によって在留したものである。

 国民徴用令への無理解から、戦時中の企業労務者を「強制連行された可哀想な労働者」と認識してしまっている人が多いが、朝鮮人は日本人と同等の労働条件で差別されてはいない。このコラムニストの婆さんもこうした事実を理解していない。

「徴用例」は日本人、朝鮮人、台湾人が一律に負っていた労務提供の国民的な義務。韓国併合に因って多大な恩恵を受けていた朝鮮人も当時日本国民であった以上、国の法律に協力する義務があったことは当然のこと。

 こんな左翼の婆さんをコラムニストに選ぶなら、思想の反対側というより、公正でまともな日本人論を揮う愚生に依頼して欲しいものだ。呵々。

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cordial8317 at 06:35│Comments(0)

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