言葉や文章を書き留めて少しでも近付ける様に努力することは大事なことだ三島由紀夫の獅子吼を我々は肝に銘じて生きるべきだ

2020年11月23日

「勤労感謝の日」との意味不明の名称を「新嘗祭」と改めよう!

 本日は「新嘗祭」。誠におめでとうございます!

 10月17日の「神嘗祭」は、天皇陛下がその年の新穀を皇祖の天照大御神を祀る伊勢の皇大神宮に奉り神恩に感謝される大祭であるが、11月23日はその新穀を陛下自ら召し上がられ万物の恵みに感謝する「新嘗祭(にいなめさい)」である。

 新嘗祭は、五穀豊穣と国家・国民の平安を祈る最も重要な宮中祭祀。即位後初めて「神嘉殿の儀」に臨まれる陛下は、続く「夕の儀」で、新穀などを神々に供えて拝礼し自らも食される。新嘗祭は翌日未明の「暁の儀」まで行われる。

 新嘗祭は、日本書紀には皇極天皇が皇極元年(642年)11月に執り行ったのが始まりとされ、旧くは霜月下旬の卯の日に斎行された。明治6年以降は11月23日に執り行われている。 因みに、天皇即位後初めて行う新嘗祭を「大嘗祭」という。

 宮中では祭祀が催される。GHQは占領下「神道指令」を発令し、皇室(神社)と国民との繋がりを断絶させた。こうした策謀に因り「新嘗祭」という呼称は廃止され、摩訶不思議な「勤労感謝の日」として現在に至っている。

「勤労感謝」というと労働していることに感謝する日の様に思ってしまうが、本来の意味は「人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う」というもの。つまり、神の加護による農作物を始めとした自然の恵に感謝する日なのである。

 悲しい哉、今日の祭日の意味を穿違えている国民が殆どだろう。簡単に言えば「勤労感謝の日」とは日本版ハロウィン(収穫祭)でもある(笑)

「人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う」とするならば、国策としての農業振興と、食の安全保障や食料自給率の向上こそ急務だが、政府からは「農」を考える言葉は発せられない。農家を護るべきJAも今や営利団体に成り下がった。

「農業」とは愛郷心や祖国愛に繋がるものであって、愛情というものがそこには無くてはならない。世界各国でも「農業」の保護政策が行われているのは、「農業とは国の本である」ということを自覚しているからに他ならない。

 占領下、GHQの日本弱体化政策に因り「農本主義」的国家観は排除された。大輸出国である米国の戦略に嵌り、大本を米国に委ね、軍事的安全保障でも自立出来ず、食料安保でも自立出来ず、これで果たして真の独立国家といえるのだろうか。

 国造りと農業の関係を経済論で語ることは、国家や郷土愛を放棄したと謗られても仕方ない。我らは平成の農本主義を構築する為にも安易な輸入物の購入を拒否し、国産物を購入し、食糧自給率向上を真剣に考えなくてはならない。

 本日は県内でも「山ノ神講」として、全国各地でも山々の神に感謝し収穫を祝う行事が各地で行われる。こうした行事は新嘗祭の風習や伝統を重んじ伝えて来た名残りでもあり、こうしたことでも天皇と国民の繋がりを知る。

 山の神講は女人禁制で行われるが別に女性差別ということではない。俗に、口喧しくなった女房を「山の神」とも言うが、いつも頭が上がらず、かみさんに感謝しているという点では神様も古女房も同じで実に有難い存在なのである(笑)

 祝日法には「神々の加護と人々の勤労によって可能になる万物の生産を祝い国民が互いに感謝し合う日」であるとの趣旨が載ってある。であるなら、労働を意味する「勤労感謝の日」より古来からの「新嘗祭」との名称こそが相応しい。

 GHQに謀られた「祝日法」を再改正し10月17日の「神嘗祭」を祝日にすると共に、勤労感謝の日を「新嘗祭」の名称に戻さねばならない。皇室に由来する祝祭日を復活させることは、我が国の国體の精華を取り戻すことでもあるのだから。

 新嘗祭に当り、山河麗しい祖国日本に生まれた喜びと、豊穣の秋に感謝すると共に、畏くも皇室の安穏と陛下の弥栄を祈念するものである。

 すめらぎの 千代万代の御代なれや 花の都に言の葉もなし

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cordial8317 at 07:23│Comments(0)

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