五穀豊穣と国家安寧を祈る大嘗祭を寿ぎ奉る勤労感謝の日とは「人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う」日である!

2019年11月15日

「大嘗祭反対」「税金返せ」とシュプレヒコールを上げるキチガイども

 日没後、篝火と灯籠の薄明かりが灯される中で、陛下は廻立殿で身を清め、御祭服に着替え、悠紀殿へと向かう。宮内庁官長の先導で、侍従らが敷く葉薦の上を静々と進まれる陛下の頭上には、菅蓋が差し掛けられていた。

 弥弥、陛下が悠紀殿の中へ進まれると帳が閉じられる。中を窺い知ることは事は出来ないが、奈良・吉野に古くから伝わる歌「国栖(くず)の古風(いにしえぶり)」の後、悠紀地方の栃木の風俗歌が楽師らにより奏でられたという。

 大嘗祭に我が国の悠久の歴史を感じ、随神の道こそが日本人の教えであることを痛感する。それを示し導いてくれる存在こそが天皇である。

 神様とは何か、神道とは何か、元号とは何か。神道の祭祀を斎行する天皇とは何か。現神(あきつかみ)としての天皇の存在とは何か。現代に於いては、天皇の存在や祭祀は如何に重要かということを教わることはない。

 神社というのは近所に当り前に在って、祭りも愉しもうというだけで神への感謝はない。天皇の存在も同じで当たり前に在るものと考えている。

 神道とは新羅万象の全てが「神」の姿であるという考え方だ。山の神、海の神、森、川、泉、石ころや水、全てのカタチある物やそして人までも、その神の在る景色の一部に過ぎず、これこそが八百万(やおよろず)の神である。

 日本固有の信仰である神道は、こうした世界観の中から生まれた道である。神と共にあるから「惟神(かんながら)」といい、神の命を与えられているから人は「神の子」、生命は神の「分霊(わけみたま)」と考えられた。

 人は、彼等の暮らす土地の神である「産土神」の御陰を被って誕生し、産土神やその他諸々の神々と正しく付き合っていくことで四季の恵みを享受し、そして最後には産土神に導かれて祖霊の世界に帰って行ったという教えである。

 古の人々は神々の世界に対し、この様な確かな意味付けを必要としないまでも、それらを自然に体現し「神」を感じとっていたのだろうと推測する。

 我が国は天皇即日本であり、天皇の厳(いつ)を願うのは日本国民として当然のこと。我が国はいつの世も、時の陛下の御代である。いつの世にもそこには「君が代」の世界が存在し、それは存在し続けなければならないものなのだ。

 大嘗祭の反対集会があったという。我が国には共産党を始め反天皇勢力が存在する。その多くは天皇の存在を「天皇制」と断じる。だが、天皇という存在は天皇であって天皇制という制度ではない。天皇制とは共産党の造語である。

 反対集会の参加者らは「大嘗祭反対」「税金返せ」とシュプレヒコールを上げ、「たった一晩の儀式のために27億円もの税金を使い巨大な神殿が建てられた」と訴え、性悪にも「台風での被害者に充てろ」と災害や被災者をも利用する。

 現憲法下では、その是非は別として宗教色の濃い祭祀や祭事に公金を投入することは認められてはいない。大嘗祭の規定は現憲法や現皇室典範に明記されてはおらず、儀式の簡素化や憲法解釈で誤魔化しても違憲の誹りは免れない。

 左翼勢力が天皇を批判する論拠は現憲法だが、皇室予算は限られており、況してや天皇の祭祀が「私事」とされてしまった現在、その費用の捻出を皇族に賄わせるとでも言うのか。ならば憲法第八条の改正か撤廃しか方法は無い。

 憲法で定められている国事行為だけを行うのが天皇の務めではない。天皇が重んじるのは悠久の歴史の中で行われてきた祭事である。

 創価学会を始めとしたインチキ宗教団体が何千億、何兆円の非課税の布施を集めてる中で、天皇が祭祀予算の困窮を呼び掛けたらどれほどの寄付金が集まることか。左翼勢力が皇室への税金投入に反対するなら護憲では辻褄が合わない。

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cordial8317 at 07:33│Comments(0)

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