琉球王国の象徴でもあり世界文化遺産の首里城が全焼左翼活動家でもある落合恵子の地元紙への特別寄稿に違和感

2019年11月11日

国民祭典の祝賀式典と祝賀御列の儀を滞りなく終える

 天皇陛下の御即位を祝う国民祭典の祝賀式典が、土曜日九日夜に皇居前広場で催された。天皇皇后両陛下は二重橋に御出座し遊ばされ、国民の祝意に感謝し御言葉を賜られた。十日午後には御即位を国民に披露する祝賀御列の儀が行われた。

 国民祭典の祝賀式典での挨拶では台風19号などの被害に心を痛め、被災者へ寄り添う言葉を述べられた。東日本大震災後、上皇皇后両陛下は原発事故の風評が収まらない中で、御身は二の次にと被災地を行幸遊ばされた御姿と重なる。

 終戦後、昭和天皇が全国を行幸遊ばされ、国民の大きな励みになったのは誰もが知るところ。先帝陛下の御姿と両陛下の御姿が重なり、正に、国民と共に在りたいとの大御心に、改めて祖国日本に生まれたことに感謝せずにはいられない。

 台風被害が収まらない中でのパレードに違和感を唱える勢力が存在しているが、こういう時だからこそ陛下や皇族方の心の支えが必要なのだ。

 我が国の歴史を繙けば、仁徳天皇は高みから民の竈の煙をご覧になられ、明治天皇は日露戦争の最中、前線の兵と同じ食事を所望された。昭和天皇もまた東京大空襲で皇居へ被害が及ぶ中、御所に止まり、国民とその苦難を分かち合った。

 皇室は常に国民と共に在り。この「君民一体」こそが我が国體の精華である。我ら日本人が護るべきものは、平和・独立という主権、国益、国民の生命・財産だけではなく、日本という国柄や国體であり、畢竟、皇統であると痛感する。

 我が国は永い歴史の中から数々の伝統及び制度が生み出されてきた国家である。そんな中で永遠に無くなってはならぬものが天皇を戴く国家の在り方である。これこそが我が国のあらゆる制度の基盤であり核心であるのだ。

 我が国は日本即天皇、天皇即日本の天皇国家であることは言うを俟たない。2679年の永きに亙り「万世一系」の天皇を戴き、常に国民や世界の平和を祈り続けておられる天皇を、善き至高の存在として暮らして来た。

 天皇の御代が栄えることは、即国民の代が栄えることでもあり、この国體の精華は万邦類を見ないところである。正に、世界に冠絶した「君が代」そのものの世界が厳然と存在する国こそが、我が祖国日本なのだ。

 悲しい哉、日本という国に生を享けながらこうした国柄を否定し、天皇や皇室を批判する誠に以て不遜不敬、不届至極の不逞の輩がいるのも確か。

 祝賀御列の儀が生中継される中で、アナウンサーらは天皇皇后両陛下ではなく「雅子さま」だとか「秋篠宮さま」「ご一家」だとかの大合唱。ワイドショー並みの放映に終始し、国民も両陛下への親しみ易さを口にする。

 マスコミは陛下や皇室に対しては敬語を絶対に使わない。こうしたマスコミの「敬称・敬語不使用」や「開かれた皇室論」の姿勢は、今や国内外に蔓延し、天皇陛下や皇室に対する敬愛の念を薄れさせ続けている。

「開かれた皇室論」とは共産主義者に拠る反天皇運動である。戦後、マスコミは週刊誌などで陛下や皇族方を登場させ、不敬なスキャンダラスな記事で尊崇の念を薄れさせることに成功した。これこそが「開かれた皇室論」の狙いである。

「敬称・敬語不使用運動」も同じで、「雅子さま」「美智子さま」「秋篠宮さま」「紀子さま」「悠仁さま」という呼称は、本人は反天皇運動などと知らずにいても、共産党からの命令書を忠実に遂行している様なものなのだ。

 戦前の様に「畏れ多くも畏くも」とは言わないまでも、日本国民ならば「皇后陛下」「上皇(后)陛下」「秋篠宮(妃)殿下」「悠仁親王殿下」「(佳子・眞子)内親王殿下」との呼称使用し、節度ある敬意を表するべきである。

「開かれた皇室論」や「敬称・敬語不使用運動」、そして「女性宮家」から我が国の伝統文化や美徳が喪失して行くということを自覚しなければならない。

 今月には即位の最大の行事である大嘗祭が執り行われる。左翼勢力は大嘗祭を違憲と断じ、更には皇族減少を理由に女性宮家や女性天皇論を持ち出すだろう。

 祖国日本に巣食う奸賊共を排し迫る来る祖国の危機に対処し、天皇国日本を盤石の安きに置く使命を有する民族派陣営や真の保守派の覚悟は如何に。

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cordial8317 at 07:02│Comments(0)

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