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2019年10月08日

「今日から君はスミスさんだ」と言われたらどう思うか(BY石破茂)

 党内左翼と言うより偏狭な自虐的歴史認識を持つ石破茂は、緊張関係の続くアジア情勢を念頭に「如何に努力をして(日韓・日朝関係を)改善するか。好き嫌いを乗り越えなきゃいけないことが政治にはある」と尤もらしく語る。

「相手の立場を十分理解する必要がある。日韓関係が悪くなって良いことは一つもない」と述べ、相変わらず日本悪玉論に与し、悪化の一途を辿る日韓関係を改善するには日韓併合で創氏改名など歴史的背景を考えるべきだと指摘した。

 創氏改名について石破は「なぜ韓国は『反日』か。もしも日本が他国に占領され『今日から君はスミスさんだ』と言われたらどう思うか」と喩える。スミス君に失礼な言い分だが、創氏改名は日本政府の強制だったという認識だ。

 昭和7年、衆議院選挙東京4区から朝鮮人の朴春琴が立候補し当選した。朴は12年の総選挙でも再選を果たしている。創氏改名が強制なら有り得ないことだ。

 東京には朝鮮半島から出稼ぎに来ていた人達が多かったとはいえ、その数は有権者数の1.5%にも満たない数であり、朴は親分肌で面倒見が良い性分であったことから人気が高く、多くの日本人が朴に投票したことが分かる。

 投票の表記に「ハングルで書かれたものも有効」と認められた。植民地の文字が宗主国の選挙で使用を認められたのは世界で唯一であった。何故そうしたことが認められたのか。それは彼ら朝鮮人も日本国民だったからだ。

「貴族院」は華族と勅撰議員(天皇陛下から指名された議員)で構成されていたが、朝鮮人の華族や勅撰議員が何人もいた。こうしたことでも「悪逆非道の日帝時代」なるものも「創氏改名の強制」も嘘八百であることが理解出来るだろう。

 更に付け加えれば「創氏改名」が行われてからも「私は朝鮮人だ」と言って憚らなかった洪思翊大日本帝国陸軍中将然り、朝鮮人に誇りを持ってた彼等は日本名に改名していない。創氏改名が如何に強制ではなかったことの証左である。

 朝鮮人の改名は届出制だった。因みに台湾人の改名は許可制で、その殆どが「不可」となっている。朝鮮人が非難して止まない「差別と弾圧」なるものは寧ろその逆であり、世界に例を見ない極めて公平で平等な制度だったというのが正しい。

 日韓併合時代にも堂々と朝鮮名を名乗っていられたのに日本名にしたのは何故か。それは日頃、支那人に蔑まれている朝鮮人にとって日本名を名乗った方が優越感に浸れるからだ。日本名を求め届け出た朝鮮人は7割以上に及んだ。

 石破の言う「今日から君はスミスさんだと言われたら」という認識が何処から来るのか。石破は、日韓併合を否定し、第二次世界大戦を侵略戦争だと断じ「西欧列強も侵略国家だが日本も遅れて来た侵略国家である」と断じて憚らない。

 創氏改名も日韓併合の認識も、偏狭な歴史認識を信じるが故に日本悪玉論になってしまうのだろう。こんな自虐史観逞しい男が政治家が保守を自任すべき自民党に存在し、況してや総理総裁候補だというのだから嗤うしかない。

 日韓併合は日本国内でも反対が多かった。中でも韓国併合に反対だったのが伊藤博文総理大臣だった。その伊藤がハルピン駅構内で暗殺された。韓国内の反日勢力が韓国併合に反対する立場なら伊藤暗殺は間違いだったのではあるまいか。

 伊藤に向けて13発の銃弾が発射されている。うち安重根から発射された銃弾は5発。だが、その全てが伊藤には命中していない。致命傷になった弾丸は駅構内の二階から発射されたフランス騎馬銃の弾丸2発というのが歴史的事実。

 犯人が安重根でなければ一体誰が本当の犯人なのか。真相は果たしてどうなのか興味が灌がれる歴史の一幕である。結果を見れば日韓合邦派の流れになった訳だが、欧米の宣教師らに因るアジアの混乱が目的ではなかったのか。

 当時、韓国では日本人への人種差別的に反感を持つ欧米の宣教師達が信者を焚き付け反日行動を煽っていた。安重根もカトリックの信者で、日本の韓国支配が進むことへの不安から義兵闘争に参加し。そして英雄に仕立て上げられた。

 この射殺事件について李氏朝鮮第26代国王の高宗は次の様に語っている。

「伊藤を失った事は我国と謂わず日本のみならず東洋の不幸である。その凶弾が韓国人と在っては赤面の外無い。日本天皇は唯一の重臣にして太師の伊藤を亡くされた。それなのに伊藤を害した兇徒を出した国の皇太子を輔育する誠意を見せた。山よりも高く海よりも深い恩義有る日本皇室にどう感謝の意を表すべきだろうか」

 日本に敵対して来た高宗の言葉だけに朝鮮民衆の日韓併合への抵抗は薄れて行った。伊藤暗殺は皮肉にも日韓併合は急速に進んだというのが真相だ。

 その後、大韓帝国第2代皇帝であり最後の大韓帝国皇帝となった純宗は、隆煕四年八月二十九日(1910年8月29日)に日韓併合に関する勅諭を渙発する。

「皇帝若に曰く朕否徳にして艱大なる業を承け臨御以後今日に至るまで維新政令に関し承図し備試し未だ曽て至らずと雖も由来積弱痼を成し疲弊極処に至り時日間に挽回の施措望み無し。中夜憂慮善後の策茫然たり。此に任し支離益甚だしければ終局に収拾し能わざるに底らん。寧ろ大任を人に託し完全なる方法と革新なる功効を奏せいむるに如かず。故に朕是に於いて瞿然として内に省み廊然として自ら断じ茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる隣国日本皇帝陛下に譲与し外東洋の平和を強固ならしめ内八域の民生を保全ならしめんとす。惟爾大小臣民は国勢と時宜を深察し煩擾するなく各其業に安じ日本帝国の文明の新政に服従し幸福を共受せよ。朕が今日の此の挙は爾有衆を忘れたるにあらず専ら爾有衆を救い活かせんとする至意に出づ。爾臣民は朕の此の意を克く体せよ。隆煕四年八月二十九日 御璽」

 大意は「韓国のどうにもならなくなった積弊を痛嘆し、皇帝として国事を収拾できなくなった無念の思いに触れながら人民の困苦を思い茫然たる心境になった事を吐露する。そしてこの際、統治権を信頼できる日本の天皇陛下に託し、国家の革新を行い、国民の幸福を共有するより外に無くなった。国民よ、東洋の平和と民生の保全のために騒乱を起こしてはならない。私は、決して国民を忘れたわけではない。国民を救い、活力を与えるための真心から出たものである。純宗」

 隣国で勃発した日清戦争や日露戦争は、韓国にとって主権国家として目覚める好機だったにも拘らずその意味を理解することは無かった。そして日韓併合というこの悲劇の現実こそが、日韓関係の日韓関係たる所以なのである。

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cordial8317 at 06:02│Comments(0)

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