彼岸会法要は天皇の詔として始められた行事だった学校でのイジメや虐待などの対応にスクールロイヤー(専門弁護士)を配置させるというが

2019年09月24日

西郷隆盛は政府軍との戦争を起こそうとは考えていなかったというが

 今日9月24日は西郷隆盛の命日。歴史とは実に異なもの。明治維新の立役者である隆盛が、一転して逆賊の汚名を背負うこととなったのは何故なのか。

 西南戦争が起こる4年前、西郷らが主張した「征韓論」を大久保利通や長州閥に因って却下される。加えてその後に士族の帯刀や俸禄を廃止する「金禄公債証書条例」が制定されると、士族らから明治政府への不満が噴出して行く。

「征韓論」を却下された西郷は鹿児島に帰郷。明治政府に不満を持つ士族らは西郷を神輿として祭り上げる。「佐賀の乱」「神風連の乱」「秋月の乱」「萩の乱」など士族の反乱が続く中で終に西南戦争が勃発。敗れた西郷は城山で自刃する。

 西郷は決して政府軍との戦争を起こそうとは考えていなかったというが、主宰する私学校生徒を統制出来なかったのは西郷の優柔不断さが大きい。結果的に若者らの不満を抑えきれなかったのは己の不徳の至りだろう。

 二度の遠島処分、自殺未遂、三人の女性との結婚、波瀾と華やかさが相交じる生涯の裏では常に死の影が付き纏っていた。西郷は「いつ死んだって好い」という処生観を持ち、人生を開き直って生きている様なところがあったという。

 私利私欲や保身とは無縁で、清濁併せ呑む器用さもなく、その大人格故に多くの信望を集め、また自分の死に際でさえ実に潔い人物だったのは確かだろう。

 一方で意外な面も覗かせる。桜田門外の変での水戸藩士との起請の反故という狡猾さを備え、慶喜公や会津藩糾弾に見られる執拗さも垣間見れる。

「南洲翁遺訓」などを読めば、西郷の指導者としての度量の深さと無上の高潔さを感じ取れる。だが、歴史的偉人の言葉というのはその多くが自戒であり、西郷が好んだ「敬天愛人」の思想もまたそういった生き様の裏返しだろう。

 斯くいう愚生も、その昔は西郷隆盛という男に疑いもなく傾倒していたのは事実。でも、根が捻くれ者なので最近はチョッと穿った見方をしている。

 慶喜公の恭順と江戸城の無血開城に満足せず代わりに会津を攻め落とすことに執心した西郷は、巷間言われてる様な傑物では無かった様に思えてならない。

 西郷隆盛を評する書籍は多くあるが、キリスト教思想家である内村鑑三は著書「代表的日本人」の中で西郷についてこう述べている箇所がある。

「西郷ほど生活上の欲望が無かった人は他にいなかったように思えます。月収が数百万円であった頃、必要とする分は十五円で足り、残りは困っている友人に分け与えられました。普段着は薩摩絣で木綿帯、履き物は下駄で過ごした」

 西郷の質素な生活ぶりは窺い知れるが、新政権樹立後、参議とはいえ何の役にも就かない者が月々数百万円の収入があったというのは驚く他はない。

 その出所は何処なのか。巷間言われていた様に東軍征伐の過程で各藩から強奪し、恭順させる証しとして上納させ蓄えてた金だったのではあるまいか。

 明治新政府の歴歴は西郷と同じく高給だったのか。明治維新とは「尊皇攘夷」を騙った一部の特権階級が謀った利権独占が目的だった気がしてならない。

 歴史に「もし」は無いが、「もし」勝海舟が西郷隆盛との会談で江戸城の無血開城と大政奉還を以て諒としてたらその後の歴史も変わってただろう。故にその後の東北や会津征伐や函館での戦いに大義があったとはとても思えないのだ。

 長岡藩家老河井継之助との新潟小千谷の慈眼寺での会談も然り。継之助は、長岡藩の中立を保ち和平交渉を進める為に、山縣狂介(有朋)か黒田清隆ら重鎮との会談を希望するも立ち会ったのは若輩の軍監岩村精一郎だった。

 この会談決裂は西軍の大きな失態だったと思う。東軍を見下した手法は西郷や山縣や黒田らの武士道精神の欠落であり、維新の大義を別なものにしてしまった感は拭えない。小地谷会談が成功裏に終わってれば歴史は変わっていただろう。

「もし」河井と山縣や黒田、或いは西郷との直接会談が実現していれば「北越戦争」を避けられただろうし「会津戦争」も避けられたのではあるまいか。尤も、西郷は維新の大義より、薩長連合の大同が優先されたということだ。

 歴史というのは正義が常に正義ではなく、正義が敗れることもある。「勝てば官軍」と勝利に酔った西郷だったが、故郷での無念の自裁は会津藩や東軍と同じく「逆賊」に堕ちた瞬間でもある。歴史とは実に異なものである。

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cordial8317 at 07:57│Comments(0)

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彼岸会法要は天皇の詔として始められた行事だった学校でのイジメや虐待などの対応にスクールロイヤー(専門弁護士)を配置させるというが