未だ国内に蔓延する明らかな歴史認識の誤謬と無知と自虐史観我が国が「オストリッチ・ファッション」や「アンディフェンデッド・ウェルス」から覚醒するのは何時のことやら

2019年07月10日

戦後のゲイ能会を牽引してきたジャニー喜多川が死去

 戦後のゲイ能会を牽引してきたジャニー喜多川が死去した。芸能ビジネスのカリスマというのは認めるが、ジャニタレやタレントを志した少年の何人がこのホモの毒牙にかかったことだろう。成功の裏側にこの男の本性を垣間見る。

「芸能国ニッポン」というのは、GHQが日本と日本人を去勢する為に始められたものだ。自由主義と民主主義という流れに享楽主義である芸能も組み込まれた。

 保守派や右翼陣営からは「戦後レジームからの脱却」だとか「ヤルタポツダム体制打倒」とか「東京裁判史観の見直し」などという声を聞くが、政治的には確かにそうだろう。だが、日本人の病根はテレビや芸能という享楽主義に在る。

 明治開国後、国力、軍事力など物理的要素は大国に比べて見劣りするものだった。だが、我が国は日清・日露戦争という国難に勝利する。これらの戦争の勝因は軍事力ではない、正しく精神的要素以外に無いと言わねばなるまい。

 結局のところ、国難に打ち克つ為に重要なことは国民性が大事であり、民度や教育度は勿論のこと、指導者の能力や将帥の統率力や士気などの精神的要素が大事。だがどうだろう、我が国はたった一度の敗戦で骨抜きにされてしまった。

 戦争で負けるということはこういうことなのか。普通であれば戦争で負けたなら臥薪嘗胆、国家再建の為に滅私奉公するのが当たり前ではあるまいか。

 本来の日本人なら、心の中に「日本人の魂」というものを持っているだろう。この国の歴史や伝統と文化、そして先人達に対する尊敬や愛着の想いである。

 祖国日本が戦争に負けたのであれば、その事実を限りなく口惜しいと思い、敗戦と占領で失われたものがあるなら、それを何としてでも取り戻したいと思う日本人としての熱い「心」である。それらを失ったままで好い筈はなかろう。

 芸能という享楽主義に溺れてしまった日本人は、何処で生き、何の為に働き、何を尊び、何を信じるのか、子供達に何を語り、友人や朋輩と何を分かつのか、そうした日本人としての生き方を見失ってしまい、それさえも気付いていない。

 我が国が戦争に敗れ、GHQに拠って徹底して武力を排除し無防備されて行く。だが、占領下であった昭和25(1950)年 6月 25日、韓国と北朝鮮との間で戦争が勃発した。これに慌てたマッカーサーは日本政府に再軍備を要請する。

 実質的な日本国憲法の破棄要請でもあったのだが、日本政府は目先の法案を優先し、警察予備隊から保安隊、そして自衛隊と法整備を急いで軍備を整える。吉田茂首相は朝鮮半島への出兵要請を日本国憲法を理由に断った。

 国内では「また戦争に巻き込まれる」という危機意識が生まれ、この朝鮮戦争に反対し「平和」を叫ぶ若者が席巻して行く。ジャニー喜多川もそんな一人。朝鮮戦争が停戦合意した後には「ベトナムに平和を」と反米に傾いて行く。

 反戦平和活動家の奔りとも言えるそんな男が「芸能国日本」のトップに君臨し、日本人を能天気な国民に仕立て上げる急先鋒となって行った。正に国體破壊と皇統断絶を謀る共産主義者と同類と断じても過言ではない

 我が国の混迷は政治の問題や政治家の責任だけではない。芸能という享楽主義が日本の精神文化を堕落させ、日本人を蝕んだ要因でもあるのだ。「芸能王国ニッポン」という汚名を雪ぎ、歴史と伝統に裏付けされた日本文化を再構築させよ。

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cordial8317 at 07:54│Comments(0)

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