2019年02月17日
「日本人は外交を知らない(チャーチル)」とは今も昔も同じ
韓国外務省は、康京和外相と河野太郎外相との会談で、慰安婦問題に関し天皇陛下の謝罪を求めた文喜相議長の発言について「日本側からの言及はなかった」と否定した。こうなるともう厭きれて嗤うしかない。
河野大臣が反論したところで否定されるのがオチで、500年以上も前の豊臣秀吉の朝鮮征伐をも責め立てる韓国に人間としての高貴で雅量のある対応を求めるのは不可能。粛々と対抗措置を採り、相応の制裁を科すべきだ。
韓国のこうした対応は歴代日本政府の外交の失敗が元凶であり、火器レーダー問題では野党が沈黙し、文議長の無礼千万な発言に日本共産党の志位がその妄言に追随した。こういう売国政党やクソ政治家が相手を付け上がらせるのだ。
国家観無き政治家のこうした発言と妄動が相手国に間違ったメッセージを送ってしまう要因になり、国益を賭けた熾烈な駆引きが要求される外交に、相手国との論争を避けるかの様な腰抜で軟弱な姿勢が相手国を逆上せ上がらせる。
弱腰外交故に韓国や近隣諸国にナメラレっ放し。外交下手もいい加減にして欲しいものだ。韓国併合や先の大戦の贖罪意識から傲岸無礼な振る舞いにも慈愛を以て対応してきたが、最早、国民の我慢も限界に達している。
「日本人は外交を知らない」とはチャーチルの言葉だ。チャーチルは日本の外交を「第二次世界大戦回顧録」で次の様に語っている。
「日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。 しかし、これでは困る。反論する相手を捩じ伏せてこそ政治家としての点数が上るのにそれが出来ない。それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は今まで以上の要求をしろという。無理を承知で要求してみると今度は笑みを浮かべていた日本人は全く別の顔になって、『これほど此方が譲歩しているのにそんなことをいうとは貴方は話の分からない人だ。事ここに至っては刺し違えるしかない』と言って突っかかってくる」
これは、昭和16(1941)年12月10日、マレー半島クァンタンの沖合いで、 英国が誇る戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」の二隻が日本軍によって撃沈された時の日記である。
昭和16(1941)年12月10日といえば真珠湾攻撃の二日後のこと。チャーチルは「これによってシンガポールを失い、インドでも大英帝国の威信を失うのではないか」と心配しながら書いている。
「日本にこれほどの力があったのならもっと早く言って欲しかった。日本人は外交を知らない」 とは正鵠を射た言葉だろう。
大東亜戦争は確かに米英から仕掛けられた戦争であったが、開戦にしろ、その後の講和交渉にしろ、外交下手というのが大きな要因になった。
外交に於いて「言わなくても分かるだろう」という日本人の気風や美徳、また相手を慮った「遠回しな言い方」などは世界では通用しない。
況してや中共や南北朝鮮にはバカにされて付け込まれるだけ。火器レーダー照射を端に発した韓国との遣り取りをみれば分かるだろう。
外国人との交渉では言うべきことを言うのが大事で、日本人も政治家も欧米人の様に、己を正当化する強固な意思を持たなくてはならない。
※コメントは会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方はパスワードを教えますので mr.cordial@live.jpへ御気軽に!
河野大臣が反論したところで否定されるのがオチで、500年以上も前の豊臣秀吉の朝鮮征伐をも責め立てる韓国に人間としての高貴で雅量のある対応を求めるのは不可能。粛々と対抗措置を採り、相応の制裁を科すべきだ。
韓国のこうした対応は歴代日本政府の外交の失敗が元凶であり、火器レーダー問題では野党が沈黙し、文議長の無礼千万な発言に日本共産党の志位がその妄言に追随した。こういう売国政党やクソ政治家が相手を付け上がらせるのだ。
国家観無き政治家のこうした発言と妄動が相手国に間違ったメッセージを送ってしまう要因になり、国益を賭けた熾烈な駆引きが要求される外交に、相手国との論争を避けるかの様な腰抜で軟弱な姿勢が相手国を逆上せ上がらせる。
弱腰外交故に韓国や近隣諸国にナメラレっ放し。外交下手もいい加減にして欲しいものだ。韓国併合や先の大戦の贖罪意識から傲岸無礼な振る舞いにも慈愛を以て対応してきたが、最早、国民の我慢も限界に達している。
「日本人は外交を知らない」とはチャーチルの言葉だ。チャーチルは日本の外交を「第二次世界大戦回顧録」で次の様に語っている。
「日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。 しかし、これでは困る。反論する相手を捩じ伏せてこそ政治家としての点数が上るのにそれが出来ない。それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は今まで以上の要求をしろという。無理を承知で要求してみると今度は笑みを浮かべていた日本人は全く別の顔になって、『これほど此方が譲歩しているのにそんなことをいうとは貴方は話の分からない人だ。事ここに至っては刺し違えるしかない』と言って突っかかってくる」
これは、昭和16(1941)年12月10日、マレー半島クァンタンの沖合いで、 英国が誇る戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」の二隻が日本軍によって撃沈された時の日記である。
昭和16(1941)年12月10日といえば真珠湾攻撃の二日後のこと。チャーチルは「これによってシンガポールを失い、インドでも大英帝国の威信を失うのではないか」と心配しながら書いている。
「日本にこれほどの力があったのならもっと早く言って欲しかった。日本人は外交を知らない」 とは正鵠を射た言葉だろう。
大東亜戦争は確かに米英から仕掛けられた戦争であったが、開戦にしろ、その後の講和交渉にしろ、外交下手というのが大きな要因になった。
外交に於いて「言わなくても分かるだろう」という日本人の気風や美徳、また相手を慮った「遠回しな言い方」などは世界では通用しない。
況してや中共や南北朝鮮にはバカにされて付け込まれるだけ。火器レーダー照射を端に発した韓国との遣り取りをみれば分かるだろう。
外国人との交渉では言うべきことを言うのが大事で、日本人も政治家も欧米人の様に、己を正当化する強固な意思を持たなくてはならない。
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cordial8317 at 08:57│Comments(0)
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