2019年02月09日
明治37年2月9日「仁川沖海戦」を以て日露戦争の火蓋が切られた
明治37(1904)年2月8日、旅順港に停泊中のロシア旅順艦隊に日本海軍駆逐艦が奇襲攻撃。日本陸軍先遣部隊が朝鮮仁川に上陸。翌9日、仁川港外に派遣されていたロシアの巡洋艦ヴァリャーグと砲艦コレーエツを攻撃し自沈に追い込んだ。
この「仁川沖海戦(じんせんおきかいせん)」を以て日露戦争の火蓋が切られる。翌10日、我が国政府はロシアに宣戦布告する。
極東の小国であった我が国と、世界最大の軍事大国ロシアとの民族の生死を賭けた戦いは一年半にも及び、我が国が奇跡的大勝利を成し遂げた。
固唾を呑んで見守っていた世界の人々の誰もがロシアの勝利を疑わず、そんな中での「日本大勝利」の報は極東小国日本の存在を世界に知らしめ、驚嘆させた。
戦前、ロシアに占領・弾圧されていたフィンランド、トルコ、ポーランドの国々や、有色人種として差別されていた民族にとって日露戦争は、国家と民族の存在を決定的に変える程の影響を齎したのである。
十五世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の滔々たる流れがアジアにも押し寄せ、江戸幕府も対応に苦慮する。
我が国は迅速に明治維新の大業を成し遂げた。その後に起きた日清戦争、そして国家の存亡を賭けた日露戦争で我が国が勝利したことによって世界は大きく変化し、全世界の有色人種に強烈な影響を与えることなった。
インドのガンジー、ネール、ビルマのオッタマ・ミール、フィリピンのリカルテ、ベトナムのファン・ボイ・チャウ、エジプトのムスタファ・カミール、トルコのケマル・パシャ等等、その影響は挙げれば限が無い。
世界の各地で「日本大勝利」に狂喜し、有色人種が白人に劣らないことに確信を持ち、各地で独立運動が湧き上がり、米国内でも黒人に人種平等の自信を与え、黒人解放運動の支えとなったのだった。
黒人誌の「インディアナポリス・フリーマン」は当時、次の様な社説を掲げた。
「東洋のリングで黄色い男達のパンチが白人を打ちのめし続けている。事実ロシアは繰り返し何度も日本人にこっぴどくやられて、セコンドは今にもタオルを投げ入れ様としている。有色人種がこの試合をものにするには、もう時間の問題だ。長く続いた白人優位の神話が、遂に今突き崩され様としている」
日露戦争勝利から15年後、パリ講和会議に於いて日本の全権使節団は国際連盟規約に「人種平等の原則」を入れる提案を行う為にパリに向かう。
途中、ニューヨークに立ち寄った折に、黒人指導者四人が「世界のあらゆる人種差別と偏見を無くす事に尽力して欲しい」という嘆願書を全権団に提出。
だが、その願い空しく、議長を務める米国大統領ウイルソンに、「全会一致」との詭弁を弄され、この要請は拒絶されてしまう。
結局、日露戦争が齎した歴史的課題であった「人種平等の原則」の本格的実現は、大東亜戦争後に実現し、その歴史的大使命が果たされるのだった。
こうした現実をみれば、我が国は先の大戦に敗れはしたが、その戦いには大義があり、正に聖戦だったことが理解出来よう。
世界史にとっても日本史にとっても重要な日清戦争や日露戦争の意義と大勝利という輝かしい出来事が、何故か余りにも軽く扱われているのは未だ我が国がGHQが謀った戦後教育から脱却出来ていない証左でもある。
安倍首相は総裁選や総選挙に於いて「誇りの持てる日本人を育てる」と訴え続けたが、未だそうした教育に着手しているとは到底思えない。
嘗てアジアの、また世界の希望の星であった日本が、国家の大本と歴史を忘却し、いつまでも米国の配下に甘んじてて好い筈がなかろう。
日露戦争開戦の日に当たり、先人が決然たる態度で一戦を決した日清・日露の大英断を、そして大東亜戦争の大義を「民族の魂の記憶」として誇り高く、永く後世に継承して往かねばならない。すめらぎいやさか。
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この「仁川沖海戦(じんせんおきかいせん)」を以て日露戦争の火蓋が切られる。翌10日、我が国政府はロシアに宣戦布告する。
極東の小国であった我が国と、世界最大の軍事大国ロシアとの民族の生死を賭けた戦いは一年半にも及び、我が国が奇跡的大勝利を成し遂げた。
固唾を呑んで見守っていた世界の人々の誰もがロシアの勝利を疑わず、そんな中での「日本大勝利」の報は極東小国日本の存在を世界に知らしめ、驚嘆させた。
戦前、ロシアに占領・弾圧されていたフィンランド、トルコ、ポーランドの国々や、有色人種として差別されていた民族にとって日露戦争は、国家と民族の存在を決定的に変える程の影響を齎したのである。
十五世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の滔々たる流れがアジアにも押し寄せ、江戸幕府も対応に苦慮する。
我が国は迅速に明治維新の大業を成し遂げた。その後に起きた日清戦争、そして国家の存亡を賭けた日露戦争で我が国が勝利したことによって世界は大きく変化し、全世界の有色人種に強烈な影響を与えることなった。
インドのガンジー、ネール、ビルマのオッタマ・ミール、フィリピンのリカルテ、ベトナムのファン・ボイ・チャウ、エジプトのムスタファ・カミール、トルコのケマル・パシャ等等、その影響は挙げれば限が無い。
世界の各地で「日本大勝利」に狂喜し、有色人種が白人に劣らないことに確信を持ち、各地で独立運動が湧き上がり、米国内でも黒人に人種平等の自信を与え、黒人解放運動の支えとなったのだった。
黒人誌の「インディアナポリス・フリーマン」は当時、次の様な社説を掲げた。
「東洋のリングで黄色い男達のパンチが白人を打ちのめし続けている。事実ロシアは繰り返し何度も日本人にこっぴどくやられて、セコンドは今にもタオルを投げ入れ様としている。有色人種がこの試合をものにするには、もう時間の問題だ。長く続いた白人優位の神話が、遂に今突き崩され様としている」
日露戦争勝利から15年後、パリ講和会議に於いて日本の全権使節団は国際連盟規約に「人種平等の原則」を入れる提案を行う為にパリに向かう。
途中、ニューヨークに立ち寄った折に、黒人指導者四人が「世界のあらゆる人種差別と偏見を無くす事に尽力して欲しい」という嘆願書を全権団に提出。
だが、その願い空しく、議長を務める米国大統領ウイルソンに、「全会一致」との詭弁を弄され、この要請は拒絶されてしまう。
結局、日露戦争が齎した歴史的課題であった「人種平等の原則」の本格的実現は、大東亜戦争後に実現し、その歴史的大使命が果たされるのだった。
こうした現実をみれば、我が国は先の大戦に敗れはしたが、その戦いには大義があり、正に聖戦だったことが理解出来よう。
世界史にとっても日本史にとっても重要な日清戦争や日露戦争の意義と大勝利という輝かしい出来事が、何故か余りにも軽く扱われているのは未だ我が国がGHQが謀った戦後教育から脱却出来ていない証左でもある。
安倍首相は総裁選や総選挙に於いて「誇りの持てる日本人を育てる」と訴え続けたが、未だそうした教育に着手しているとは到底思えない。
嘗てアジアの、また世界の希望の星であった日本が、国家の大本と歴史を忘却し、いつまでも米国の配下に甘んじてて好い筈がなかろう。
日露戦争開戦の日に当たり、先人が決然たる態度で一戦を決した日清・日露の大英断を、そして大東亜戦争の大義を「民族の魂の記憶」として誇り高く、永く後世に継承して往かねばならない。すめらぎいやさか。
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cordial8317 at 06:36│Comments(0)
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