嘘に嘘を重ねる余り矛盾が生じていることさえも気付かない反日国家・韓国福島民報新聞トップの半藤一利のインタビュー記事を嗤う

2019年01月27日

NHK連続テレビ小説「まんぷく」のヒロイン・今井福子のモデルは福島県二本松の安藤仁子

 NHK連続テレビ小説「まんぷく」で、安藤サクラが演じるヒロイン・今井福子は日清食品創業者の安藤百福(呉百福)の妻・仁子(まさこ)がモデル。

 百福が破天荒だったのか、仁子の器量か、百福には紅梅という支那人の妾がおり、妾腹でもあるの子供が長男として日清食品の二代目社長となり、仁子との間に出来た子供は次男としてその後に三代目社長に就いた。

 現代なら上場企業の社長に妾がいて二代目となることなど考えられないことだが、こうしたことでも仁子の苦労が窺い知れる。

 仁子の祖父・安藤重宣(しげのり)は、安積国造神社の東側の地で生を受ける。その後、安藤家から分家し、二本松神社社家安藤家の初代に就く。妻・八重は歴史学者の朝河貫一の伯母に当り、長男・重信、須磨の三女が仁子。

 本家に当たる安積国造神社六十四代の安藤智重宮司は、仁子ルーツの地を示す「安藤仁子 本貫の地」看板を表参道に設置し、地元でも話題となっている。

 その看板には、同神社に所縁のある江戸時代の儒学者でもある安積艮斎(ごんさい)との繋がりは書かれてあるが、残念なことに二本松の呼称は見られない。因みに、「艮」とは「丑寅の方向」、つまり「東北の人」という意味がある。

 安積艮斎や朝河貫一の名士の生き様とは違うが、インスタントラーメンの草分けでもある安藤百福の糟糠の妻である仁子が、生涯の一時を過ごした二本松にも同様の看板を設置すれば観光客誘致の一助にもなると思う。

 艮斎は二本松藩の儒者・今泉徳輔に学んだ後、文化3(1808)年、その向学心止み難く、17歳で出奔。江戸に上り、儒学者・佐藤一斎の門に入る。その後、大学頭・林述斎の門人となり研鑽を積んだ人物である。

 17歳で学問を志し江戸へ出奔したというと聞こえはいいが、真相は16歳で横塚村に婿入りするも、その女房が評判の美人で、この女房にフラれたからだ。

 艮斎といえば醜男では夙に有名で、その上、良斎は学問が好きで夫としての仕事もろくろくせずに本ばかりを読んでいる様な風変わりな男だった。

 そして終に三下り半。養子先から追い出される羽目となった訳だが、これを機に江戸に遊学を決意し、そして成功を収めたというのが真実だ。

 幕末の激動期、艮斎を師と仰いだ門人は小栗上野介を始め、秋月悌次郎、岩崎弥太郎、清河八郎、栗本鋤雲、権田直助、高杉晋作、谷干城、中村正直、そして吉田松陰などなど実に2282人にも上る。

 艮斎が没した数年後、大政奉還、王政復古の大号令、戊辰戦争と政治的社会変革が次々と興り、明治維新の大業を成し遂げる。幕末の激動期に多くの功労者を育んだ艮斎の生涯は、近代日本の源流が在り、今も尚、滔滔と流れ続けている。

 艮斎の床の間には、別れた女房を偲ぶ為に書いて貰った一幅の美人画が飾られていたという。艮斎は常々「この女房に追い出されたことで今の自分がある。この絵を見て自分自身を戒めているのだ」と弟子に語っていたという。

 人間誰でも悪い時というのはあるもので、そんな時こそ「災い転じて福と成す」ではないが「今があるのはそのお蔭である」というプラス思考が大事。

 そういう意味では、艮斎や安藤仁子の困難をプラスに換え、克服しようという生き方は福島県民共通のものの様な気がする。

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cordial8317 at 07:08│Comments(0)

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