陛下並びに皇族方の定例記者会見は止めるべきだ「先輩として後輩力士の礼儀を正すことは義務と思っている」

2018年12月03日

明治5年(1872年)12月3日が明治6年の元旦となった

 明治5年(1872年)12月3日、それまで月の満ち欠けを中心にした太陰暦(旧暦)を切り替え、地球の公転運動(一太陽年)を基準とする太陽暦のグレゴリオ暦(西暦)を採用し、明治6年の「元日」と決めた。

 新暦は1年を365日とし、西暦年数が4で割り切れる年を閏年とする。100の倍数になる年は400の倍数でない限り平年とする。旧暦では1年が13ヶ月。それが12ヶ月になるのだもの大きな混乱や支障が生じただろうことは想像するに余りある。

 旧暦というのは月の満ち欠けで1ヶ月を現したのだが生活の中で月を眺めれば現在が理解出来たというのは実にロマンチックなことだと思う。

 西暦はエジプト暦に始まり、ユリウス暦・グレゴリオ暦と改良され、現在世界各国で使用されてはいるが、暦というのは宗教と歴史が関連するものであり、国が変われば暦もまた様々だ。

 イスラムでは「太陰暦」、タイでは「仏暦」、ユダヤ教では「ユダヤ暦」、北朝鮮も「主体(チュチュ)暦」、日本も神武天皇御即位の年を紀元とされる「皇紀」を用いるべきだが、その「皇紀」さえも知らない国民は少なくない。

 日本には「暦」とは別に「元号」というものが在る。「元号」こそ節季の習俗を時代の流れに応用する先人の智慧であり、これこそが我が国文化を象徴するものである。改元は明治以前は、主として吉凶禍福とか瑞祥などによって行われていた。

 大日本帝国憲法下(欽定憲法)に於いては、元号に関する規定は旧皇室典範第12条に「践祚ノ後元号ヲ建テ一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト明治元年ノ定制ニ従フ」と明記されていたが、現日本国憲法下、現皇室典範が制定されるに伴って条文が消失し、法的明文が無くなった。

 旧皇室典範第12条の「明治元年の定制」とは、明治元年9月8日発令の「太政官布告」である。ところが大東亜戦争後の昭和22年5月3日の憲法記念日に合わせて旧皇室典範は廃止され、現皇室典範がGHQの策謀に因って国会議決された。

 現皇室典範には大嘗祭と同じく「元号」に関する規定が無い。大嘗祭に反対している左翼らは元号使用に対しても憲法違反であると提訴するだろう。

 国会・政府・裁判所の公的文書等で慣例的に「元号」が用いられたことに鑑み、紆余曲折、賛否両論の喧々諤々の末に、昭和54(1979)年6月6日に「元号法」が成立し、同月12日に公布・即日施行された。

「元号法」という法律がある以上、「元号」を用いるべきであるが、左翼や朝日新聞を始めとした売国マスコミは敢えて元号を使わず西暦を常用している。

 その理由を見れば「元号は戦前からの慣習であり、天皇の元首化を狙うものだ」とか「元号は旧憲法下の天皇制に付随したものである」とか、皇室に対する怨念を込め、我が国體否定を顕した愚にも付かないものばかり。

 左翼マスコミは「西暦」を使い続けることで「元号」が無くても何ら影響が無いという既成事実を積み重ねているが「元号法」が成立してる以上、西暦よりも「元号」の表記こそ優先すべきである。

 我が国の「元号」は第36代孝徳天皇の御代に建てた「大化」に始まる。孝徳天皇の崩御後、新たな元号は定められず、後「白雉(はくち)」「朱鳥((しゅちょう、すちょう、あかみどり)」が続く。

 斉明、天智、弘文天皇の御代には定かでないとされているが、文武天皇の御代に「大宝」という元号が建てられ、今日の「平成」に至るまで約1300年間途切れることなく続いている。

 元号の数は「南北朝時代」に並行した元号を合わせると実に248に及ぶ。歴代の天皇は数年から10年を目途に「改元」し巧みに時代転換をして来た。

 中でも幕末の混乱期に御即位した孝明天皇は、御在位21年の間に「嘉永」「安政」「万延」「文久」「元治」「慶応」と実に6回も改元為された。これ即ち幕末という混乱の時代を如何に転換させるかの苦衷の表れでもある。

 元号こそ我が国の歴史が天皇を中心に織りなされて来たという厳然たる事実の証明でもあろう。元号の改定は、徳川時代でも朝廷の大権だった。

 江戸時代中期の学者、新井白石も「折焚く柴の記」で「元号だけは朝廷の御定めになることである。武家の関することではない」と綴っている。

 元号法成立時、左翼陣営は「元号は天皇主権の旧憲法への逆戻り」「元号は天皇元首化の動きと直結」「元号によって天皇の権威を国民の隅々にまで行き亘らせる狙い」だと騒ぎ立てたが、正に「元号」は共産党らが指摘した通りである。

 明治欽定憲法を復元し、万世一系の天皇を我が国元首として仰ぎ奉り、陛下の御稜威を国民生活の隅々にまで行き亘らせることにあるのは当然で、それは日本国民として当然の願望ではないか。

 我が国はいつの世も、時の陛下の御代である。いつの世にもそこには「君が代」の世界が存在し、それは存在し続けなければならないのだ。

 その御代を端的に表現するものが「元号」であり「一世一元」制である。正に我が国の国體の精華であり、世界に誇る美風である。

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cordial8317 at 06:16│Comments(0)

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