事故を騒ぐ前にオスプレイ配備の事の由を知るべし!「オスプレイ事故」で大騒ぎする珍左翼と左翼メディアは中共の第五列

2023年12月03日

明治5年(1872年)12月3日が明治6年の元旦となった

 明治5年(1872年)12月3日、それまで月の満ち欠けを中心にした太陰暦(旧暦)を切り替え、地球の公転運動(一太陽年)を基準とする、太陽暦のグレゴリオ暦(西暦)を採用し、明治5年12月3日は明治6年1月1日(元日)と決めた。

 新暦は1年を365日とし、西暦年数が4で割り切れる年を閏年とする。100の倍数になる年は400の倍数でない限り平年とする。旧暦では1年が13ヶ月。それが12ヶ月になるのだもの大きな混乱や支障が生じただろうことは想像するに余りある。

 旧暦というのは、月の満ち欠けで1ヶ月を現したのだが、生活の中で月を眺めれば月日が理解出来たというのは実にロマンチックなことだ。西暦はエジプト暦に始まり、ユリウス暦・グレゴリオ暦と改良され、現在世界各国で使用されてはいるが、暦というのは宗教と歴史が関連するものであり、国が変われば暦もまた様々である。

 イスラムでは「太陰暦」、タイでは「仏暦」、ユダヤ教では「ユダヤ暦」、北朝鮮も「主体(チュチュ)暦」、日本も神武天皇御即位の年を紀元とされる「皇紀」を用いるべきだが、その「皇紀」さえも知らない国民は少なくない。

 我が国には「暦」とは別に「元号」が在る。「元号」こそが節季の習俗を時代の流れに応用する先人の智慧であり、我が国文化を象徴するものである。改元は一世一代となってるが、明治以前は、主として吉凶禍福とか瑞祥などで行われていた。

 大日本帝国憲法下での元号に関する規定は、旧皇室典範第12条に「践祚ノ後元号ヲ建テ一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト明治元年ノ定制ニ従フ」と明記されていたが、現憲法下、現皇室典範が制定されるに伴って条文が消失し法的明文が無くなった。

 旧皇室典範第12条の「明治元年の定制」とは、明治元年9月8日発令の「太政官布告」である。ところが大東亜戦争後の昭和22年5月3日の憲法記念日に合わせて旧皇室典範は廃止され、現皇室典範がGHQの策謀に因って国会議決された。

 現皇室典範はGHQに改定され、大嘗祭と同じく「元号」に関する規定が無い。大嘗祭に反対している連中は元号使用に対しても憲法違反であると提訴している。

 国会・政府・裁判所の公的文書等で慣例的に「元号」が用いられたことに鑑み、賛否両論の喧々諤々の末に、昭和54(1979)年6月6日に「元号法」が成立。

 同月12日に公布・即日施行された。「元号法」がある以上、「元号」を用いるべきであるが、左翼や売国マスコミは元号を使わず西暦を常用している。最近では公的文書記入は外国人に便宜を図り、元号ではなく西暦の使用が認められている。

 元号反対の理由は、「元号は戦前からの慣習であり、天皇の元首化を狙うものだ」とか、「元号は旧憲法下の天皇制に付随したものである」とか、皇室に対する怨念を込め、我が国體否定を顕した愚にも付かないものばかり。流石は珍左翼(苦笑)

 左翼マスコミが「西暦」を使うのは「元号が無くても何ら影響が無い」という既成事実を積み重ねてるだけ。「元号法」ある以上、西暦よりも「元号」の表記こそ優先すべきである。反米を唱える左翼がキリスト生誕の西暦使用とは嗤うしかない。

「元号」は、第36代孝徳天皇の御代に建てた「大化」に始まる。「大化の改新」は645年~650年の維新のことである。孝徳天皇の崩御後、新たな元号は定められず、後「白雉(はくち)」「朱鳥((しゅちょう、すちょう、あかみどり)」が続く。

 斉明、天智、弘文天皇の御代には定かでないが、文武天皇の御代に「大宝」が建てられ、今日の「平成」に至るまで約1300年間途切れることなく続いている。

 元号の数は「南北朝時代」に並行した元号を合わせると実に248に及ぶ。歴代の天皇は、数年から10年を目途に「改元」し、巧みに時代の転換をして来た。

 中でも、幕末の混乱期に御即位した孝明天皇は、御在位21年の間に「嘉永」「安政」「万延」「文久」「元治」「慶応」と実に6回も改元為されている。これ即ち、幕末~開国という混乱の時代を如何に転換させるかの苦衷の表れと思われる。

 元号こそ、我が国の悠久の歴史が、天皇を中心に織りなされて来たという厳然たる事実の証明でもあり、我が国の文化である。元号の改定は、徳川時代でも朝廷に許された大権だった。江戸時代中期の学者、新井白石も「折焚く柴の記」で、「元号だけは朝廷の御定めになることである。武家の関することではない」と綴っている。

「令和」という元号は陛下が改定したものでは無い。故安倍晋三首相が、天皇の大権である元号制定権を簒奪し制定した。「皇位は践祚される」という我が国古来の法を破壊し、現憲法の配下に天皇を置こうとしたことは断じて赦されるものではない。

 元号法成立時に左翼陣営は、「元号は天皇主権の旧憲法への逆戻り」「元号は天皇元首化の動きと直結」「元号によって天皇の権威を国民の隅々にまで行き亘らせる狙い」だと騒ぎ立てたが、正に「元号」は、共産党らが指摘した通りである。

 明治欽定憲法を復元し、万世一系の天皇を我が国元首として仰ぎ奉り、陛下の御稜威を国民生活の隅々にまで行き亘らせることにあるのは、日本国民として当然の願望ではないか。我が国は、天皇の国であり、いつの世も時の陛下の御代であるのだ。

 我が国はいつの世にも「君が代」の世界が存在し、千代に八千代に存在し続けなければならないものである。天皇の御代を端的に表現するものが「元号」である。正に元号とは我が国の国體の精華であり、世界に誇る美風である。すめらぎいやさか。

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cordial8317 at 06:58│Comments(0)

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