福島民報新聞「戊辰150年・第三章~信義を貫いて~」・河井継之助編明治5年(1872年)12月3日が明治6年の元旦となった

2018年12月01日

陛下並びに皇族方の定例記者会見は止めるべきだ

 秋篠宮殿下は御生誕の記者会見で大嘗祭について、宗教色の強い祭祀を国費で賄うことに疑義を呈し「出来る範囲で身の丈に合った儀式にすることが本来の(天皇の祭祀)姿である」との持論を吐露された。

 神道は惟神の道であり日本人の教えであるが、その形は宗教であり、政教分離の原則が規定されている現憲法との兼ね合いを考慮しての御発言だろう。

 現憲法下では天皇の祭祀は国事行為や公的行事ではなく、単なる「私事」となっており、現皇室典範にはGHQの策謀に因って大嘗祭の規定さえ削除されている現実を政府や宮内庁は重く受け止めるべきだ。

 新聞タイトルを読めば、大嘗祭の何たるかも知らない国民が煽られる。大嘗祭を巡ってはキリスト教や仏教などの左翼系宗教団体を反天皇運動の活動家らが違憲訴訟を起こしているが、今後は秋篠宮殿下の発言が利用されることを危惧する。

 皇族の御発言は重く、殿下の発言を利用して反天皇運動を謀る左翼らに利用されることを考えれば御発言は慎重を期すべきではなかったか。

 真子内親王殿下の御結婚の件も週刊誌が喜びそうな内容で、記者からの質問とはいえ敢えて発言する必要があったとも思えない。

 宮内庁への苦言に異論はない。だが皇族から一度発せられた言葉は取り消し難い。正に「綸言汗の如し」ということを思い知る。

 平成の大嘗祭を斎行し即位遊ばされた今上陛下は憲法順守の意向を示された。これは現憲法99条の「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」との条項を踏襲したまでのこと。

 だが、左翼や誤(護)憲派らは我田引水的にこの発言を利用した。過去にも、大東亜戦争の大義に疑義を呈したり、戦前の皇室の在り方を否定した「赤い宮様」と言われた故三笠宮崇仁親王殿下の発言を反対運動の論拠としている。

「紀元節祭復活は科学的根拠に欠ける」と建国記念日(紀元節)の皇居皇霊殿での祭祀に反対したことをして、左翼勢力は挙って三笠宮殿下の歴史的認識と発言を利用し、国民世論や大衆の煽動を謀った。

 そして今回も、大嘗祭や即位の礼は憲法に定める政教分離の原則に反するとして、クソ市民団体が損害賠償と儀式への公費支出差し止めの訴訟を起こす。

 憲法以前の存在であらされる天皇を憲法で論じる愚かさ。如何に現憲法が我が国體や皇統にとって異質なものであるか分かるだろう

 週刊誌やワイドショー向けの記者会見は「開かれた皇室論」の流れから行われている皇族方の吊し上げであり、百戦錬磨の記者共は殿下の言葉を論い、言葉尻を捉えて政府を批判しようという魂胆が見え隠れする。

 政治家じゃあるまいし不敬極まる定例記者会見は止めた方が好い。こうした記者会見は皇室に対しての尊敬を失わせるものでしかない。

 マスコミの「敬称・敬語不使用」や「開かれた皇室論」の下、週刊誌などで陛下や皇族方を登場させ、不敬なスキャンダラスな記事で尊崇の念を薄れさせることに成功した。近年の皇太子妃殿下に対する記事もその流れでもある。

「開かれた皇室論」は、我が国の国柄の破壊を目指す共産主義者の策謀であり、1932年にソ連共産党から日本共産党へ出された「コミュンテルンテーゼ(命令書)」の反天皇運動の忠実なる遂行である。

 所謂「天皇制廃止運動」は、昭和時代にあっては「戦争責任・退位論」に始まり、続いて「開かれた皇室論」「敬称・敬語不使用運動」を展開した。

 平成以降も「女性天皇論」や「女性宮家論」として、その天皇制廃止運動は国民が自覚の無い儘に巧妙に継承され浸透してしまっているのだ。

「開かれた皇室論」の実行を謀るマスコミを通じ、我が国の伝統文化や美徳を喪失させてしまっているということに国民は気付くべきだ。

 我が国は天皇陛下を族長と仰ぐ家族国家であり、この国體の精華は万邦無比である。戦前の様に「畏れ多くも畏くも」とは言わないまでも、陛下や皇族方に対しては節度ある敬意を表するのは当たり前のことだ。

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cordial8317 at 06:25│Comments(0)

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