歴史学者の朝河貫一博士が持て囃されているが日本人にとっての10月20日という日を考えてみた

2023年10月19日

朝河貫一博士は「戦争と対峙し平和を希求した憂国の士」に非ず

 二本松出身の歴史学者・朝河貫一博士が生誕して今年で150年。没後70年のシンポジウムが東京六本木の国際文化会館で行われたのは平成から令和に替わった頃のこと。「戦争と対峙し平和を希求した憂国の士」と、朝河の生涯と功績を讃えてた。

 列席者の原発事故調査委員会委員長で、政策研究大学大学院名誉教授の黒川清は、唐突に「原発事故後の日本が何も変わっていない」と、偏差値教育を批判した上で、「海外での実体験が健全な愛国心を育む」と意味不明の自説を述べた。

 黒川にとって朝河は健全な愛国者と見てるのだろうが、朝河の愛国心というのは米国の国益を優先した米国への忠誠であり、健全な愛国心でも憂国の士でもない。

 同郷の学聖を貶す訳ではないが、朝河博士が唱えた平和主義は米国の国益を優先した平和主義であり、敗戦後の戦後民主主義と同じ価値観に過ぎない。

 シンポジウムの列席者らは朝河博士を持ち上げているが、戦前には「朝河は敵国のスパイ」と断じられていたことには沈黙。米国の意の下に行動する朝河に対して、当時の愛国マスコミの急先鋒だった「大阪朝日新聞」は、次の様に批判している。

「此の人イェール大学を卒業し、目下、米国某学校に於いて東洋政治部の講師として聘せられ居るものなり。名刺にはドクトル及び教諭と記し、日本人に語るにも日本語を用いず、必ず英語を以てす。此の人、ポーツマスに来たり、日々ホテル・ウェントウォースに在りて、多くの白人に接し、頻りに平和條約の條件に就て説明をなしつつあり。英文にて記せる朝河貫一なる文字とその肩書きの立派なるよりほかは知らざる白人は・・・学校の講師で安月給のくせに、1日に5ドルのホテル代を払って、ここにいるのは甚だ疑わしい、誰の回し者だ」(明治38(1905)年10月30日)」

 幼少の頃から勉学に励み早稲田大学を経て米国の大学に学んだ向学心は認めるが、幼稚な正義感は多感な時期に教わった米国人英語教師の存在が大きい。

 朝河博士の歴史認識、取り分け明治維新後の近代史に着目すれば、日露戦争から大東亜戦争に至るまで当時の日本の外交や軍国主義の台頭を批判している。

 朝河博士の平和主義は日本人としての思いというより、米国の国益に適った米国の戦いを正当化するものでしかない。米国内では日本人を好戦的人種であるとして「黄禍論」を煽り、軍閥の独断専行を批判しているが朝河の主張も同類である。

「日米開戦回避に奔走した」というが、朝河博士の主張は、「我が民族の精神と恒久的平和主義を根底から否定する」ということから始まっており、要は、戦争回避が不可能というのを見越した上での在米日本人としての言い訳でしかない。天皇陛下への親書が戦争回避に繋がると本気で思っていたとしたら、実に御粗末な話でもある。

 欽定明治憲法下に於いては、国務は国務大臣、統帥は参謀総長及び軍令部長が陛下を輔弼し、その責に任ずることになっている。陛下には、法的な責任も戦争回避を決断する御立場にはない。逆の見方をすれば、戦争を実行したのは昭和天皇という考えているのだろう。戦後の共産主義者らが謀った「昭和天皇戦争責任論」と同じ。

 戦争回避の実現が朝河博士の真意ならば、昭和天皇ではなく、当時のルーズベルト大統領を筆頭に米国名に横溢していた「黄禍論」という日本と日本人への偏見を糺すべきだったのではあるまいか。大東亜戦争前、国会に於いて戦争回避の演説を行い、対米戦争は間違いであると批判したのは大日本愛国党総裁の赤尾敏唯一人だった。

 右翼というのは好戦家だと言われるが、その実は共産主義者こそが好戦家なのである。先の大戦も戦争犯罪人は大日本帝国憲法でもなく、統帥権でもなく、況して軍部でもなければ日本の軍国主義でもない。先の大戦に於ける真の戦争犯罪人は近衛文麿と尾崎秀美らそのブレーン達、即ち日本国内で蠢いていた共産主義者らだった。

 マルクス・レーニン主義という悪魔の思想が昭和の悲劇を生んだことは今や歴史的事実である。多くの戦死者や戦災者を出し、日本の資産の大部分を失った大東亜戦争とは、ソ連コミンテルンと中国共産党、そして国内の共産主義者が仕組んだ共産革命の実現の為の争いだった。支那事変や満州事変を断じた朝河も同列である。

 朝河博士が平和主義者なら、批判すべきだったのは十五世紀の大航海時代以来の、白人に因る世界制覇と人種差別と植民地支配であり、開戦の決断に至る「ハル・ノート」であり、敗戦後の日本に米国が行った様々な不正義と不条理であろう。

 朝河博士の理念の根本の在るのは我が国の歴史の否定あり、戦後の米国が押し付けた戦後民主主義教育と同列である。ここに来て朝河博士が持て囃されるのも、未だ我が国が米国の価値観とまやかしの平和主義から目醒めていない証左でもある。

 米国の平和主義は傲岸不遜な不正義でしかない。そうした米国の国益を重んじた朝河博士が健全な愛国心を持った平和主義者や憂国の士だったというのは仰々しい。考えてみれば歴史や人物像というのは、こうして捏造されて行くのである。 呵呵。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。

cordial8317 at 05:01│Comments(0)

コメントする

このブログにコメントするにはログインが必要です。

歴史学者の朝河貫一博士が持て囃されているが日本人にとっての10月20日という日を考えてみた