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2018年10月20日

三条実美の祭文の原則がある限り「賊軍」の汚名が消えることはない

 靖國神社では秋季例大祭が斎行されている。終身会員などが順次招致され、愚生も第二日祭の招待状に「出席」と応えていたが、諸般の事情で欠席した。

 靖國神社の例大祭は、他の神社の様な華美さはないが厳かな中で行われる。宮司以下本殿の座に著き、国学院吹奏楽部による伴奏に合わせ参列者全員で国歌斉唱。様々な式典で国歌斉唱を聴くが、この例大祭での斉唱より敵うものなし。

 本殿にて權宮司以下により神事が斎行されているが拝殿からは様子は窺えない。聞こえるのは小鳥の囀りと宮司の祝詞と社頭で参拝する方々の柏手の音。

 その後、国学院大学混声合唱団と共に「鎮魂歌」並びに「靖國神社の歌」を合唱。宮司玉串奉奠に続き、参列者が本殿に進み拝礼、英霊に感謝の誠を捧げ、そして退出。式典は約1時間で終了となる。

 靖國神社の合祀対象はあくまでも「官軍」に限られており、右大臣・三条実美が明治2年7月1日に参拝し奉読した祝詞に明示されている通り。

「八十日々はあれども、今日の活く日の足る日を祭日と定めて、祭らしめ賜ふ去年今年、皇軍に死れる輩の靈の前に白さく、汝等は靈ちはふ神の御代より樛の木の彌繼々に天下知し食しぬる我が天皇の大御代と共に久しく言繼ぎて、臣たる人の鑑となす押日命の言立ての、海行かば水漬く屍、山行かば草むす屍、大王の上にこそ死なめの其の事業を今の現に取り行ひて、所は變れども心は一に、皇軍に役立して賊徒等を討たむる其の戰に痛手負ひて命果てぬる輩なれば、上も下も憐の靈よ尊の靈と言ひ思ひ哀しみ畏み祭る、此の祭を受け辱み、千世萬つ世、天翔りて動かず、變れず、大御代の御爲と爲らむ靈とそ思ひ慕ふになむ、吾が身其の時しも監察使の勅を奉りて、此の吾妻に來たりて、東北の軍事をも親しく聞、其軍人の難苦し趣をも知りにし事なれは、今其の事共を思ひ出て、殊更に哀しく、殊更に慕しく思ひて、今此の祭の場に詣り來て拜み齋く事になむ、輔相從一位右大臣藤原朝臣實美、明治二年已巳七月朔日」

 この三条右大臣の読んだ祭文の原則がある限り、西軍は「皇軍」であり、東軍に対する「賊軍」という汚名が雪がれることはない。

 会津藩士や白虎隊、我が故郷の二本松藩士や二本松少年隊、西南戦争で自決した西郷隆盛ら所謂「賊軍」の御霊は本殿左の「鎮霊社」に祀られてはいる。だが、悲しい哉、例大祭の期間は閉門されている。

「鎮霊社」は、幕末の嘉永6年以降、戦争や事変に係わり散華するも、本殿に祀られていない日本人の御霊と、同時期以降の世界の戦争・事変に係わって戦没した全世界各国全ての戦没者の御霊を祀る社である。

 こうしたことでも、長州閥の謀で創られた靖國本殿より「鎮霊社」こそが、宗教的な敬虔さと神道の教えを顕している様に思う。

 最近の靖國神社を見ると、大東亜戦争で散華された英霊を殊更に讃えることで、反対派から好戦的な神社であると思われているのも確かだろう。

 靖國神社は英霊を追悼する施設ではなく英霊の功績を顕彰する神社である。「顕彰」とは隠れた功績、善行などを称えて広く世間に知らせることである。

 だが、保守票欲しさに靖國に参拝する政治家や営業保守、自称愛国者や右翼人までもが「英霊に哀悼の誠を捧げて来た」と言って悦に入る。

「哀悼」とか「追悼」とは、死者の生前を偲びその死を悼み悲しむことであるが、靖國神社は追悼の施設ではなく英霊の顕彰を重んじている社であるということを理解していないからこんな間違った認識が罷り通る。

 追悼施設というのなら、海外で亡くなられた方々の遺骨が埋葬される千鳥ヶ淵の戦没者墓苑を整備して、国立の戦没者追悼施設を建立すれば好い。

 靖國神社に於ける本殿と鎮霊社の並立状態は「死者の選別」であり、こうした死者に対する差別的処置は日本人の宗教観や死生観からも違和感を覚える。

「朝敵」とされ未だ本殿とは別にしてその死を包括し得ない現状は、真に「靖國」の意味が在るのかという疑問を拭い去ることが出来ない。

 会津藩に至っては幕閣で唯一の神道であり、どの藩よりも朝廷に忠節を尽くした藩にも拘らず、遺恨を持つ薩長の策謀により「朝敵」とされただけだ。孝明天皇から容保公に下賜された御宸翰が何よりの証だろう。

 朝敵を別なカタチで祀ることと、朝敵を本殿に祀ることと、どちらが現代に即して、天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのであろうか。このまま未来永劫「死者の選別」をしたままで好いとは思えない。

「国靖かれ」と願って亡くなられた方々は別に西軍の戦没者だけではない。賊軍と蔑まされ続けてる東軍の戦没者も同じ想いだ。明治天皇の思し召しにより創建された靖國神社の在り方を真剣に考えなくてはならないと思う。

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cordial8317 at 05:59│Comments(0)

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