国民に税負担を強要するなら政治家こそ政党交付金を返納すべし三条実美の祭文の原則がある限り「賊軍」の汚名が消えることはない

2018年10月18日

戊辰の役から150年、明治維新や明治新政府を称える歴史が徐々に暴かれつつある

 歴史というのは往々にして時の権力の都合の好い歴史に書き換えられる。戊辰の役から150年、明治維新や明治新政府を称える歴史が徐々に暴かれつつある。

 歴史に「もし」は無いが、勝海舟が西郷隆盛と江戸城で会談し無血開城を以て実質的な維新が成立した訳で、もし、あの時に全てを諒としてする訳には参らなかったのか。その後の東軍征伐に何の意味があったのだろう。

 幕府で唯一の神道を重んじ、孝明天皇を御守した会津藩が何故に朝敵として責められなければなかったのか。単に蛤御門の変(禁門の変)での敗戦の遺恨であり、とても尊王攘夷という大義ある維新だったとは思えない。

 そんな明治維新の裏側を垣間見る史料が公開された。史料には、戊辰の役で二本松城が落城した直後、西軍は二本松藩の名主・菊池家から同家相伝の名刀や三百両を奪った状況が克明に記されているという。

 三百両は現在の価値で3900万円相当になる。東北の片田舎の名家でそれほどなのだから、ここに来るまでどれほどの強奪を謀ったのか。その後も西軍に因る各地での凶行は留まることを知らず。

「尊皇攘夷」を訴え、錦の御旗を掲げているが、要は尊皇を振り翳した盗賊・凶賊の類で、長州や薩摩、土佐、肥後などの各地から集まった連中が、攻め入った藩や大店などに押し入り、強奪などを働いたことは想像するに余りある。

 武士道とは程遠い輩が一時の「尊皇」という流行に便乗し私服を肥やし、上司もまたそれらの上前を撥ね贅沢三昧。明治維新後の政治家共が別荘を建て贅沢な暮らしが出来たのも、戊辰の役で奪ったこうした金が使われたのだろう。

 明治新政府の歴歴方は高給だったとすれば、明治維新とは「尊皇攘夷」を騙った一部特権階級の為の利権独占が目的だったのではあるまいか。

 キリスト教思想家の内村鑑三は自著「代表的日本人」の中で西郷隆盛についてこう述べている箇所がある。

「西郷ほど生活上の欲望が無かった人は他にいなかったように思えます。月収が数百万円であった頃、必要とする分は15円で足り、残りは困っている友人に分け与えられました。普段着は薩摩絣で木綿帯、履き物は下駄で過ごした」

 質素な生活ぶりは窺い知れるが、あの当時の月収が「数百万円」あったというのとは驚く他はない。新政権樹立後、参議とはいえ何の役にも就かなかった者に月々数百万円とは如何に。その手当の出所は一体何処なのか。

 前述した様に東軍征伐の過程で各藩に対し恭順させる証しとして上納させ蓄えてた金や、地元の名主や大店から強奪した金ではなかったのか。
 
 執拗に徳川や会津を責めた西郷だったが、その後、自らの信念であった「征韓論」で大久保利通らと対立し、薩摩へ帰郷することとなった。

「佐賀の乱」「神風連の乱」「秋月の乱」「萩の乱」など、士族の反乱が続く中で、明治10年(1877年)には西郷が主宰する私学校生徒の暴動から「西南戦争」が勃発。西郷はその指導者となるも敗れて城山で自刃した。

 会津藩を見るまでもなく歴史というのは正義が常に正義ではなく、正義が敗れることもあるという一例だろう。「勝てば官軍・負ければ賊軍」と騙り、勝利に酔った西郷が賊軍に落ちた瞬間である。歴史とは実に異なものである。

※コメントは会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方はパスワードを教えますので mr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを!

cordial8317 at 06:09│Comments(0)

コメントする

このブログにコメントするにはログインが必要です。

国民に税負担を強要するなら政治家こそ政党交付金を返納すべし三条実美の祭文の原則がある限り「賊軍」の汚名が消えることはない