教育勅語の否定は敗戦コンプレックスと戦後民主主義教育の踏襲「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖國神社は遠ざかって行く」

2018年10月10日

「終戦の詔勅奉戴日こそが御親拝に最も相応しい日である」だとさ(苦笑)

 今日10月10日は、昭和39年にアジアで初、有色人種の国家で初めてオリンピックが開催された日。本来であれば「体育の日」だが、そうした祝日の意義を忘れ左翼の策謀に嵌りハッピーマンデーに組み込まれてしまった。

 扨て、靖國神社の会報10月号は終戦の日特集。記事には8月15日を「大東亜戦争終結より73年目を迎えた」とし、当日の様子を詳しく報じている。

 最近の靖國神社は、神社庁との主導権争いから宗教法人となった明治神宮と同じく営利主義も目立ち、一宗教法人に甘んじてる気がしてならない。

 会報には、保守派の論客でもある小堀佳一郎が、「終戦の詔勅奉戴日に寄せて」というタイトルで陛下の御親拝を切望し、「終戦の詔勅奉戴日こそが御親拝に最も相応しい日である」との論文を寄稿している。

 氏のいう「終戦の詔勅奉戴日」とは8月15日。然もこの日を「平和祈念日」なら未だしも、「終戦記念日」と称していることに驚きを隠せない。

 大東亜戦争終結に関する詔勅の渙発は二日前の13日であり、内閣が署名し公布したのが翌14日。そして15日は録音による「玉音放送」が流された日だ。

 国民の多くはこの玉音放送があった日を「終戦記念日」と称し、保守派や右翼、軍事マニアらが靖國に参集しパフォーマンスを繰り広げる。

 靖國神社御親拝に相応しい日が大東亜戦争終結を決断遊ばされた日ではなく「終戦記念日」というのには些か違和感を覚える。

 なんちゃって愛国者らにはこうした勇ましい論文はウケが好いかも知れないが、近年の8月15日の動向に眉を顰めてる国民は少なくない。

 軍事オタクらがラッパを鳴らし行軍し右翼も同道。営業保守は靖國で儲け政治家は保守票欲しさにパフォーマンス。外ではキチガイ集団の反天連がデモを繰り広げ右翼と揉み合いに。こんな状況下で陛下の御親拝など叶う筈があるまい。

 御親拝への実現の為に、日本国民が有する「請願権」を行使することが肝要だと訴えるが、請願権を行使したところで解決されることはない。

 政治問題化した靖國神社を政治的請願権に基いて御親拝を強行することになれば、それこそ目先の改憲同様、禍根を残すことになるだろう。

 総理や閣僚が参拝することで靖國が騒がしくなるなら、政治家なんぞ靖國にかかずらって欲しくはないというのが正直なところ。

 いっそのこと千鳥ヶ淵墓苑を米国のアーリントン墓地の様に造り直し、国立戦没者墓苑を創れば好いし、政治家はそっちに行けば好い。

 陛下が御親拝遊ばされる環境創りとはそういうことでもあるし、多くの国民は千鳥ヶ淵ではなく靖國神社に詣で英霊に感謝の誠を捧げるだろう。

 首相や閣僚の参拝を合法化するならば靖國神社の「宗教法人格」を外し、国で管理すれば好いだけの話しなのだが、自民党は「靖國法案」の提出を出すこともなく、請願権の行使という国民への丸投げ、国民への他力本願に同調する気か。

 小堀は「日本会議」に参画し思想的な拠所となった人物だが昨今の保守ブームの火付け役といって好いだろう。だが、営業保守的傾向が拭え切れず、こうした論説はなんやって保守を喜ばせるが、一方で世論を撹乱するだけだ。

 陛下の譲位にしても、結局、阻止出来なかったのは保守派の抵抗が甘かったからで、中途半端な認識と論説が反天皇勢力に付け入られることとなった。

 陛下の御親拝を望むのは日本国民なら当然だが、8月15日は全国戦没者追悼式の帰りに靖國に立ち寄るというのは序でに参拝という感じが拭えない。

 それこそA級分祀論で国民を誑かし、公式参拝というパフォーマンスを行うも結果的に靖國を貶めることとなった中曾根康弘と同じではないか。

 先の大戦で散華された英霊を含め246万6千余の全御祭神の御霊を鎮めるのに相応しい日は、春秋の例大祭や桜満開の季節が好い。

 今年は戊辰の役150年に当たる。明治2年、靖國神社が明治天皇の思し召しにより創建された。その合祀対象は、「皇軍に役立ちして、賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩」と、三条実美の祭文に明示されている。

 この祭文の原則がある限り、会津藩や我が二本松藩、或いは西南の役での西郷軍関係者などが祀られることはなく、未来永劫 「賊軍」の儘なのだ。

 靖國神社が戦没者の顕彰を重んじる神社であるなら、鎮霊社という別なカタチで祀ることと、本殿に祀ることと、そのどちらが時代に即して天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのか言わずとも分かるだろう。

 明治天皇の思し召しにより創建された神社がいつまでも死者の選別を続けることは日本人の死生観にもそぐわない。

 官軍である長州閥の下で創られた靖國神社の在り方を見直す時期に来ている。先ずは鎮霊社という死者の選別を止めよ。さすれば靖國の在り方が世界に知れ渡り、陛下の御親拝の道も近付くことだろう。

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cordial8317 at 06:59│Comments(0)

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