「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困る者なり」と言うが第四次安倍改造「全員野球内閣」発足

2018年09月29日

本日は「反中共デー」。対中外交を改め、台湾との国交を恢復せよ!

 昭和47(1972)年9月29日、田中角栄は「日中共同声明」に調印。中国共産党を唯一の政府であると認め、主権回復した昭和28(1953)年4月28日に締結した国際法規である「日華国交条約」を一方的に破棄した。

 これを受け中華民国は直ちに我が国との国交を断絶。我が国が台湾を国家として認めていないのは我が国の国際条約の蹂躙が原因であり、主権国家として実に恥ずべきことで、断じて赦されるものではない。

「日華国交条約」を破棄は終戦間際に「日ソ中立条約」を一方的に蹂躙したロシアの蛮行と同じであり、道義国家日本が失墜した象徴でもある。

「日華国交条約」の破棄は明らかな日本国憲法98条違反だが、公然の憲法蹂躙に対して護憲派からもマスコミからも糾弾されたことは一度もない。

 田中は更に「先の大戦で中国国民に重大な損害を与えたことに、責任を痛感し、深く反省する」と詭弁を弄した。だが、我が国が先の大戦で戦ったのは「中華民国」であり、戦後4年も経って建国した「中華人民共和国」ではない。

 田中が幾ら詭弁を弄そうとも、先の大戦での賠償は「日華国交条約」締結を以て終わっているのだ。田中のこうした誤ちと歴史認識が、今でも悪しき前例となり現在も受け継がれ、中共への優遇措置が講じられている。

「河野談話」や「村山談話」を糾弾する声はあるが、抑々、我が国の土下座外交と自虐的歴史認識は田中角栄の「日中共同宣言」が元凶なのである。

 多くの国民は「我が国と支那の関係を「一衣帯水」だとか「古くからの隣人」などと心得違いをしている人が多いが、日中間に国交関係が樹立されたのは20世紀に入ってからで未だ100年も経っていない関係である。

 況してや、中華人民共和国(中共)との国交は44年しかなく、我が国と戦争もしていない中共が戦勝国として国連の常任理事国に就いていることが摩訶不思議なことで、本来、戦勝国は中華民国であり台湾だろう。

 親中派は常々「日中は同文同種、一衣帯水の関係」との認識を示すが、これは全くの誤りであり、無知以外の何ものでもないが、こうした認識こそ中国共産党の策謀に嵌っている証左の一つでもある。

 607年、聖徳太子は小野妹子を隋に派遣し対等外交に踏み切り、後に蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子らが645年「大化の改新」を実現する。

 天智2(663)年、唐・新羅連合軍に攻撃された百済は日本に救援を求めると、我が国はこれに応じ出兵した。これが世にいう「白村江の戦い」である。

 応援に出た日本軍はこの海戦で大敗を喫し、この敗戦を機に我が国は中華圏との正式な外交を絶つこととなった。

 白村江の海戦で大敗を喫し、生き残った者は捕虜となった。その中の一人、大伴部博麻は「唐が日本を攻める」という情報を得るも日本に知らせる術もなく、自らを奴隷に売って金を作り仲間を帰国させこの危機を知らせた。

 これが持統4(689)年の事であり、その後、博麻が帰国したのは白村江の戦いから何と30年後のことだった。帰国後、持統天皇が博麻の功を顕彰する。

【朕 その朝を尊び国を愛ひて 己を売りて忠を顕すことを嘉ぶ】(日本書紀)

 これが「愛国」という言葉の由来であり、軽々しく日の丸を掲げて勇ましい行動を採ることが愛国というものではない。

 我が国が国書を携えて派遣したのは「倭国」としてであり、「日本」と名乗ってからは一度足りとも正式な国書を携えた外交はなく、親中派の「一衣帯水」「同文同種」という認識は実に軽々しいものと言わざるを得ない。

 明治4(1871)年に「日清修好条規」を結んだ相手は満州人の清朝であり、支那を支配していたが漢民族の国ではなかった為に、支那との正式な外交は、明治45(1915)年の「中華民国」誕生まで待たなければならなかったのだ。

 毎年9月29日は、右翼民族派陣営が中心となり「反中共デー」の運動が全国で行われている。だが、数十人、或いは数人の左翼集会を取り上げるマスコミはこの運動を一切無視し報道されることはない。

「反中共デー」運動の輪が広がることで日中の歴史的経緯が明らかになり、台湾との国交恢復が成されることを願って止まない。

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cordial8317 at 06:35│Comments(0)

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