戊辰戦争での「領民が東西両軍を問わず戦死者を手厚く葬った」という美談戊辰の役後の明治新政府を称える歴史が徐々に暴かれつつある

2023年09月23日

「命もいらず名もいらず官位も金もいらぬ人は始末に困る者なり」と言うが

 旧暦の1868年(明治元年)年9月22日会津津戦争が終結。秋彼岸の会津若松市は祭り一色に。歴史に「もし」は無いが、もし、勝海舟が西郷隆盛との会談で江戸城の無血開城を諒としていたなら、多くの優秀な人材を失わずに済んだだろう。

 執拗に徳川慶喜や会津藩を責めた西郷だったが、その後、自らの信念であった「征韓論」で大久保利通らと対立すると薩摩へ帰郷する。その後「佐賀の乱」「神風連の乱」「秋月の乱」「萩の乱」など士族の反乱が続く中で、明治10(1877)年には西郷が主宰する私学校生徒の暴動から「西南の役」が勃発するに至った。

 指導者であった西郷は敗れて城山で自刃した。西南の役での西郷の自裁は、歴史というのは正義が常に正義ではなく、正義が敗れることもあるという一例であろう。

「勝てば官軍、負ければ賊軍」と東軍征伐で勝利に酔った西郷が、会津藩や東軍雄藩と同じく賊軍に落ちた瞬間である。歴史というのは実に異なものである。

「会津戦争」は、西軍が若松城内に侵入してから降伏するまで約1ヶ月を要した。あの時代の歴史を思うと、幕閣であった勝海舟が西郷と妥協せず、江戸城に於いて徹底抗戦していれば、その後の日本の歴史も大きく変わっていたに違いない。

 勝と西郷の江戸城での談判と無血開城は侍としての士風を損なったばかりか、会津藩や会津人の悲運を生みこととなった。そういう意味でも、勝海舟にしろ、西郷隆盛にしろ歴史上、言われてる様な傑物では無かった様に思えてならない。

 西郷隆盛を過大評価し、愛して止まない右翼や自称・愛国者らが好きな言葉に、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困る者なり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」というのがある。

 この言葉は「西郷南洲翁遺訓」第三十条や山岡鉄舟語録からの引用である。右翼の中には自分が然も幕末の志士になったかの如くこの言葉に陶酔するが、「国家の大業」や「天下の偉業」というものは政治家がやることで右翼がやることでもない。

「命もいらず」というが終身保険に入って積み立てていたり、高目ばかりを夢見て「有名になりたい」とか「カネを儲けたい」という右翼人ばかりなのに(笑)

 また右翼でもないのに右翼の有名な人と知り合いになっただけで然も自分も右翼になったと勘違いしてる輩が多く、とても「艱難を共にする」という覚悟を持った人物などいやしないし、艱難などに遭遇してもきっと避けるに違いない(笑)

 第三十条は、「然れども斯くの如き人は、凡俗の眼には見るべからず」と続く。凡俗の右翼人の眼に、ホンモノが映るとは思えない。遺訓では第二十七ケ条が好い。

「過ちを改めるに、自ら過ったとさへ思ひ付かば、夫(そ)れにて善し。其事をば棄てて、顧みず直に一歩踏出す可し。過を悔しく思い、取繕はんと心配するは、譬へば、茶碗を割り、其の欠けらを集め合せ見るも同じにて詮(せん)なきこと也」

 まぁ、斯くいう愚生もその昔は西郷隆盛に疑いもなく傾倒していたのも事実。でも、根が捻くれ者というか削げ者なので最近はチョッと穿った見方をしている。

 逸話がある。西郷隆盛の正式な名前は「西郷隆永」で「隆盛」というのは実は父親の諱(名前)だ。何故に「隆永」ではなく「隆盛」になってしまったのか。

 明治2年、戊辰戦争の奥羽戦線から帰京する西郷に、宮内庁から御召状が出されることになった。この時、職員が知人の吉井友実に西郷の諱を尋ねたところ「確か、隆盛じゃった」と答えことで、以後「隆盛」と称されることとなったという。

 帰京し、吉井に会った西郷は、「あれは父の名でごわんか。わしの名は隆永じゃと、おはんも知っちょるじゃろう」というと、吉井も頭を掻き乍ら、「ほんにそうじゃった」と詫びを入れると、二人は顔を合わせて大笑いしたという。

 その後、西郷は「隆盛」という名を否定も訂正もしなかったのは、親友である吉井への気遣いと、西郷自身の生まれ持った大らかさだろう。こうした逸話一つでも、「西郷(せご)どん」と誰からも愛される人柄だったことを偲ばせる。

 江戸城の無血開城後の東軍の所業や故郷への帰還後も若者の行動を諌められなかった西郷は、政治家としては非力。だが、人間味が溢れていたのは確かだろう。

 金言や格言とは経験から学んだものであり、自戒を込めた言葉故に相手に響く。桜田門外の変に関わり乍ら、井伊直弼暗殺に参画した水戸藩士らを落胆させた。また、島送りで女性遍歴多き西郷の言葉にしては綺麗過ぎる気がしてならない。呵呵。

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cordial8317 at 05:47│Comments(0)

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