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2018年09月23日

彼岸会法要は日本独自のもので、天皇の詔して始められた行事だった

 本日は「彼岸の中日」、墓参りに行く人も多いだろう。「彼岸」とは雑節(ざっせつ)の一つで、雑節とは二十四節気、五節句などの暦日の他に四季折々の季節の移り変りを日本的に表した特別な暦日のこと。

 雑節には「節分」「八十八夜」「土用」「入梅」「半夏生」などがある。こうした歴日が日本の四季折々の麗しい情景を深める。

「春分」と「秋分」は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いを馳せたのが彼岸の始まり。

 現在では彼岸の仏事は浄土思想に結びつけて説明される場合が多く、浄土思想での極楽浄土(天国)は西方の遙か彼方にあると考えられている。

 春分・秋分の日を中日とし、前後各3日を合わせた各7日間(1年で計14日間)で、最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」と呼び、この期間に行う仏事を彼岸会(ひがんえ)と呼ぶ。

 俗に、中日に先祖に感謝し、残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目「六波羅蜜」を1日に1つずつ修める日とされている。

「六波羅蜜(ろくはらみつ、ろっぱらみつ)」とは大乗仏教における六種の修行で、菩薩が涅槃に至るための六つの徳目のこと。

 六つの徳目とは、施しという完全な徳「布施波羅蜜」、戒律を守るという完全な徳「持戒波羅蜜」、忍耐という完全な徳「忍辱波羅蜜」、努力を行うという完全な徳「精進波羅蜜」、精神統一という完全な徳「禅定波羅蜜」、そして仏教の究極目的である悟りの智慧という完全な徳「般若波羅蜜」。六度ともいう。

 それにしても、六つの徳目の中で持戒、忍辱、精進、禅定、智慧というのは言葉では理解すれど、これらを修めるとなれば容易ではない。

 その点、布施という施しは目に見えて分かるので、仏教の世界、特に昨今の葬式仏教や新興宗教の世界では「布施」ばかりが信心の裏返しであるかの様な、我田引水的な都合の好い解釈が罷り通っているのではあるまいか。

 施しという完全な徳とは、別に戒名を貰うのに坊主にやる御布施のことではない。自分より能力的に肉体的に劣る者、難渋している者、壁にぶち当たっている者に対し金銭的なものを含めて支えてあげることこそが施しというものだろう。

 波羅蜜とは「魔訶般若波羅密多(まかはんにゃはらみた~)心経」で始まる般若心経にも頻繁に出てくる言葉だから馴染みがあるだろう。

 般若波羅密多は「魔訶」、つまり尊いものであると、釈迦が弟子の舎利弗(シャーリーシ)に語った悟りであり、それを三蔵法師が訳した。

 文字数は題字を含め276文字しかない。内「空」が7回、「無」が21回、「不」が9回で、般若心経の教えとは「空」であり、その「空」「無」「不」を知り「空」に生きることに在る。因みに教育勅語は315文字。

 愚生的には、般若心経の「羯諦(ギャーテー)羯諦(ギャーテー)波羅羯諦(ハラギャーテー)波羅僧羯諦(ハラソーギャーテー)菩提薩婆訶(ボージーソワカ)般若心経」という、最後のどことなくラップ調のあの心地好い響きが好きだ(笑)

 意味は「さぁ皆一緒に、真の幸せの世界に行こうではないか!」という呼びかけだが、仏教徒というのは戒名さえ貰えば極楽浄土に往けると思ってる人ばっか。戒名とは御釈迦様の弟子になるということで、死んでからも修行なのだ(笑)

 彼岸会法要は日本独自のもので、天皇の詔(みことのり)として始められた行事であったが、祖先を供養する行事として定着するに至った。

 こうしたことも天皇と国民の繋がりを示す一つであるが、正に我が国は天皇の国であるということが窺い知れる。皇室は常に国民と共に在り、この「君民一体」こそが我が国體の精華なのである。

 因みに、彼岸会の「彼岸」は「日願(ひがん)」に喩えられ、仏教語としての彼岸は後から結びついたものであるという説もある。

 まあ、極楽浄土とは現世に在る。難渋する人に施し、持戒、忍辱、精進、禅定を積み、智慧を修めることこそ極楽浄土であり、死後の世界の極楽浄土や天国というのは釈迦やキリストが人の悩みや恐れを和らげる為に創った嘘だろうな(笑)

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cordial8317 at 06:02│Comments(0)

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