2022年01月01日
昭和天皇戦争責任論は日本人としての精神的幼稚さを示す典型的な戯言
皇紀2682年、令和4年を迎へ、恭しく聖寿の万歳を寿ぎ奉り、愈々肇国の精神を顕揚し、本年が光輝ある年宰たらしめんことを堅く誓い、併而、御厚情を賜る皆様方の御隆昌を祈念申し上げます。今年も拙ブログに御付き合い頂ければ幸甚の極み。
年末、昭和天皇の侍従長だった百武三郎の日記が公開された。側近の内大臣木戸幸一の言葉として、天皇の開戦への決意(海戦の詔勅)が「行き過ぎの如く見ゆ」と記された言葉をして、開戦か非戦か時勢の中で揺れ動いた昭和天皇の姿を思索する。
百武侍従長は元海軍大将。二・二六事件で襲撃され重傷を負った鈴木貫太郎の後任として終戦の一年前まで侍従長を務めた。百武日記の一部を読むと、開戦への苦悩を感じるが、「米大統領は妥結を熱望している」との文言に疑問を感じる。
昭和天皇の侍従の日記を基に、昭和天皇85歳の時に「戦争責任言われ辛い」という心情を吐露したという記事が載った。こうした昭和天皇の言葉や発言を取り上げて「反戦」と「戦争責任」に繋げるのはマスコミの恒例となった。
申す迄もなく、天皇陛下の御言葉というものはその影響するところは極めて大であり、正に「綸言汗の如し」。政治家とは違い一度発せられた言葉は取り消し難い。
侍従長らの日記を引用し、過去の昭和天皇の言葉を論って政治問題化しようという魂胆が見え隠れする。陛下と侍従の関係に於いて互いの信頼に於いて心情を吐露することもあるだろう。それを今になって公表することに違和感を覚える。
陛下の御立場上、反論することは不可能であり、一方的に発せられる言葉が陛下の心情の吐露とされるのは如何なものだろう。昭和天皇が非戦論者で、開戦を決めた東条英機らを批判したいのだろうが、肝心なのは開戦を決断した大義である。
過去にも、歴史探偵を自任するインチキ歴史家であり歴史作家の半藤一利が「昭和天皇の心の中には、最後まで戦争責任があったのだと伺わせる」と頓珍漢なコメントを発表しているが、今後、この侍従の日記が政治利用されて行くだろう。
未だ国内では、昭和天皇に対して「戦争責任」などとの戯言を垂れ流す日本人らしからぬ輩が存在するのは確かだが、之は大東亜戦争の歴史を知らない故のこと。
昭和50年、当時の宇佐美宮内庁長官は内外の記者団と陛下の公式記者会見を取り計らった。案の定、記者から所謂戦争責任についての質問が発せられた。
陛下は戦没者追悼式に於いて「私は胸が痛むのを覚える」と述べられているが、何故に戦争責任をこういう記者会見の席で問うとは不敬も甚だしい。更に、海千山千の記者らは広島・長崎への原爆投下に対する御認識を問う質問を続けた。
陛下は「(広島・長崎への原爆投下は)遺憾だが、戦争中でもあり已む得なかった」と御答えになったが、極めて適切妥当な御判断と考えられる。当時、日米は国家の命運を賭けて戦ってた。新しい武器の使用は止むを得ない行為だった。
前代未聞のこうした記者会見はテレビを前にした吊し上げであり、言葉尻を捉えて戦争責任を取らせようという魂胆が見え見えであり、こうした会見が未だ継続されているが宮内庁長官らこそ天皇廃止運動に与する獅子身中の虫である。
欽定明治憲法下では国務は国務大臣、統帥は参謀総長及び軍令部長が陛下を輔弼し、その責に任ずることになっており、陛下(昭和天皇)に法的に責任は無い。
然し乍ら、道義的に最も責任を痛感されたのは昭和天皇御自身であり、昭和天皇は天皇陛下という御地位、御立場と崇高な御人格がそれを許すことはなかった。
大東亜戦争終結に関する詔勅に於いて、昭和天皇は「帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ」と仰せられた言葉の通り、自ら身を苛まれたのは陛下御自身なのである。
「天皇戦争責任論」は、1932年にソ連共産党から日本共産党へ通達された「コミュンテルンテーゼ(命令書)」の指令による影響が大きい。命令書は、所謂「天皇制廃止運動」として昭和時代の「戦争責任・退位論」に始まっている。
国内では未だ昭和天皇の戦争責任を問う声があるというのは反天皇勢力に因る天皇廃止運動が継続されているという証左であるが、自らの国の歴史を知らない故にこういう戯言が罷り通る。日本人の精神的幼稚さを示す一例であろう。
戦争犯罪人は昭和天皇でもなければ大日本帝国憲法や統帥権でもなく、況して軍部でもなければ当時の軍国主義でもない。真の戦争犯罪人は近衛文麿と尾崎秀美らそのブレーン達、即ち日本国内で蠢いていた共産主義者らであり、マルクス・レーニン主義思想が昭和の悲劇を生んだということは今や歴史的事実である。
大東亜戦争とは、ソ連コミンテルンと中国共産党、そして日本国内の共産主義者が仕組んだ共産革命の実現の為の争いであり、そのマルクス・レーニン主義者の策謀に当時の日本全体がまんまと嵌ってしまった愚かな戦争とも言えるのだ。
天皇陛下の退位特例法案を成立させたのを皮切りに、女性宮家問題や女性天皇など共産主義者が謀る天皇廃止運動は国民が気付かない儘に巧妙に実行されている。マスコミに因る我田引水的天皇利用は断じて赦されることではない。
昭和天皇の御言葉を重んじるなら、最後まで反対なされた旧皇族の皇籍離脱には何故に沈黙するのか。戦前を現代の道徳観や価値観で論うことに意味は無い。大事なのは敗戦後、GHQが謀り実行した多くの策謀と不条理を如何に糺すかである。
本年も右翼人として、また一維新者として一旦緩急に備え、遺憾無きを期し、貧すと雖も志士の覚悟を忘れることなく、草莽の道を歩んで往こうと思っておりますれば、何卒御付き合いのほど宜しく御願い申し上げます。
往く道は精進して 忍びて終わり悔いなし(高倉健)。扨て、今年もどうなるものぞ。すめらぎいやさか、すめらみこといやさか。天皇陛下万歳、万歳、万々歳!
平成4年 皇紀2682年 歳旦 佐久間五郎拝
※コメントは煩わしいので会員のみにさせて頂いております。メッセージやコメント入力希望の方はmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。
〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ
年末、昭和天皇の侍従長だった百武三郎の日記が公開された。側近の内大臣木戸幸一の言葉として、天皇の開戦への決意(海戦の詔勅)が「行き過ぎの如く見ゆ」と記された言葉をして、開戦か非戦か時勢の中で揺れ動いた昭和天皇の姿を思索する。
百武侍従長は元海軍大将。二・二六事件で襲撃され重傷を負った鈴木貫太郎の後任として終戦の一年前まで侍従長を務めた。百武日記の一部を読むと、開戦への苦悩を感じるが、「米大統領は妥結を熱望している」との文言に疑問を感じる。
昭和天皇の侍従の日記を基に、昭和天皇85歳の時に「戦争責任言われ辛い」という心情を吐露したという記事が載った。こうした昭和天皇の言葉や発言を取り上げて「反戦」と「戦争責任」に繋げるのはマスコミの恒例となった。
申す迄もなく、天皇陛下の御言葉というものはその影響するところは極めて大であり、正に「綸言汗の如し」。政治家とは違い一度発せられた言葉は取り消し難い。
侍従長らの日記を引用し、過去の昭和天皇の言葉を論って政治問題化しようという魂胆が見え隠れする。陛下と侍従の関係に於いて互いの信頼に於いて心情を吐露することもあるだろう。それを今になって公表することに違和感を覚える。
陛下の御立場上、反論することは不可能であり、一方的に発せられる言葉が陛下の心情の吐露とされるのは如何なものだろう。昭和天皇が非戦論者で、開戦を決めた東条英機らを批判したいのだろうが、肝心なのは開戦を決断した大義である。
過去にも、歴史探偵を自任するインチキ歴史家であり歴史作家の半藤一利が「昭和天皇の心の中には、最後まで戦争責任があったのだと伺わせる」と頓珍漢なコメントを発表しているが、今後、この侍従の日記が政治利用されて行くだろう。
未だ国内では、昭和天皇に対して「戦争責任」などとの戯言を垂れ流す日本人らしからぬ輩が存在するのは確かだが、之は大東亜戦争の歴史を知らない故のこと。
昭和50年、当時の宇佐美宮内庁長官は内外の記者団と陛下の公式記者会見を取り計らった。案の定、記者から所謂戦争責任についての質問が発せられた。
陛下は戦没者追悼式に於いて「私は胸が痛むのを覚える」と述べられているが、何故に戦争責任をこういう記者会見の席で問うとは不敬も甚だしい。更に、海千山千の記者らは広島・長崎への原爆投下に対する御認識を問う質問を続けた。
陛下は「(広島・長崎への原爆投下は)遺憾だが、戦争中でもあり已む得なかった」と御答えになったが、極めて適切妥当な御判断と考えられる。当時、日米は国家の命運を賭けて戦ってた。新しい武器の使用は止むを得ない行為だった。
前代未聞のこうした記者会見はテレビを前にした吊し上げであり、言葉尻を捉えて戦争責任を取らせようという魂胆が見え見えであり、こうした会見が未だ継続されているが宮内庁長官らこそ天皇廃止運動に与する獅子身中の虫である。
欽定明治憲法下では国務は国務大臣、統帥は参謀総長及び軍令部長が陛下を輔弼し、その責に任ずることになっており、陛下(昭和天皇)に法的に責任は無い。
然し乍ら、道義的に最も責任を痛感されたのは昭和天皇御自身であり、昭和天皇は天皇陛下という御地位、御立場と崇高な御人格がそれを許すことはなかった。
大東亜戦争終結に関する詔勅に於いて、昭和天皇は「帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ」と仰せられた言葉の通り、自ら身を苛まれたのは陛下御自身なのである。
「天皇戦争責任論」は、1932年にソ連共産党から日本共産党へ通達された「コミュンテルンテーゼ(命令書)」の指令による影響が大きい。命令書は、所謂「天皇制廃止運動」として昭和時代の「戦争責任・退位論」に始まっている。
国内では未だ昭和天皇の戦争責任を問う声があるというのは反天皇勢力に因る天皇廃止運動が継続されているという証左であるが、自らの国の歴史を知らない故にこういう戯言が罷り通る。日本人の精神的幼稚さを示す一例であろう。
戦争犯罪人は昭和天皇でもなければ大日本帝国憲法や統帥権でもなく、況して軍部でもなければ当時の軍国主義でもない。真の戦争犯罪人は近衛文麿と尾崎秀美らそのブレーン達、即ち日本国内で蠢いていた共産主義者らであり、マルクス・レーニン主義思想が昭和の悲劇を生んだということは今や歴史的事実である。
大東亜戦争とは、ソ連コミンテルンと中国共産党、そして日本国内の共産主義者が仕組んだ共産革命の実現の為の争いであり、そのマルクス・レーニン主義者の策謀に当時の日本全体がまんまと嵌ってしまった愚かな戦争とも言えるのだ。
天皇陛下の退位特例法案を成立させたのを皮切りに、女性宮家問題や女性天皇など共産主義者が謀る天皇廃止運動は国民が気付かない儘に巧妙に実行されている。マスコミに因る我田引水的天皇利用は断じて赦されることではない。
昭和天皇の御言葉を重んじるなら、最後まで反対なされた旧皇族の皇籍離脱には何故に沈黙するのか。戦前を現代の道徳観や価値観で論うことに意味は無い。大事なのは敗戦後、GHQが謀り実行した多くの策謀と不条理を如何に糺すかである。
本年も右翼人として、また一維新者として一旦緩急に備え、遺憾無きを期し、貧すと雖も志士の覚悟を忘れることなく、草莽の道を歩んで往こうと思っておりますれば、何卒御付き合いのほど宜しく御願い申し上げます。
往く道は精進して 忍びて終わり悔いなし(高倉健)。扨て、今年もどうなるものぞ。すめらぎいやさか、すめらみこといやさか。天皇陛下万歳、万歳、万々歳!
平成4年 皇紀2682年 歳旦 佐久間五郎拝
※コメントは煩わしいので会員のみにさせて頂いております。メッセージやコメント入力希望の方はmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。
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