それでも8月15日を「終戦記念日」だと言い続けますか?国連人権理事会が「除染作業員の健康被害を懸念する」との声明を発表

2018年08月18日

ポツダム宣言受諾後に起きた占守島の戦いを忘れるな!

 昭和20年8月18日の早暁午前1時頃、占守島(しゅむしゅとう)の日本軍に対し、ソ連軍が奇襲上陸。終戦により武装解除準備を始めていた守備隊は武装を整え直し、ソ連に対して自衛戦闘を開始した。

 占守島での戦闘は日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及んだ。日本軍の圧倒的勝利の中で、8月21日に武装解除に応じ戦闘が終結。日本軍が武装解除を終えたのは3日後の24日だった。

 この戦いによりソ連軍の千島列島の占領は遅滞され、その間に米軍の北海道進駐が完了したことで、ドイツや朝鮮半島の様な北海道の分割統治は避けられた。そういう意味でも「占守島の戦い」は大きな意義があった。

 この後、占守島で自衛戦闘を戦った日本軍の兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士全てがシベリアに強制連行される。

 理不尽な終戦後の戦争を勇敢に戦った兵士達は、こうした理不尽な仕打ちさえもポツダム宣言受諾の無条件降伏の無条件のうちだと信じて、飢えも寒さも、その結果としての知れ切った死すらも潔く受容した。

 ソ連は占守島や中千島、南千島以外の地域からも軍人や軍属だけでなく一般人までもシベリアへ強制連行し不当に抑留した。実にその数80万人、その半数以上の同胞が酷寒の地で凍死や餓死で亡くなられている。

 シベリヤに抑留された日本人同胞は国内では一般には約60万人と言われているが、この数字は軍属だけの数字で、民間人を含めると更に多く、ロシアの資料では約70万人、米国の資料では約90万人とされている。

 シベリア抑留で亡くなられた日本人同胞の正式な被害者数を調査しなければならないが、政府は未だに拱手傍観を極め込んでいる。

 東京大空襲や広島・長崎への原爆投下を実行したアメリカもそうだが、非戦闘員の殺戮も、シベリアへの強制連行も全て国際法違反であり、戦勝国と雖もこうした人道に悖る行為を正当化する権利が在るとは思えない。

 況してや終戦間際に日ソ不可侵条約を蹂躙し、一方的に宣戦布告し戦闘に加わったソ連の蛮行は断じて赦されるものではないが、このソ連の参戦は「ヤルタ秘密協定」での米英との約束の忠実な実行である。

 1945年(昭和20年)2月、ルーズベルト、スターリン、チャーチルはクリミア諸島のヤルタで会談。ルーズベルトは千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の一方的破棄を進言、ソ連の対日参戦を促した。

 ヤルタ協定では、「ソ連が日本との戦争に参戦すること」「南樺太をソ連に返還すること」「千島列島をソ連に引き渡すこと」などが決められた。

 これに従ってドイツが無条件降伏した約3ヵ月後の昭和20年8月9日、ソ連はヤルタ協定を忠実に実行し「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄し参戦した。

 歴史を紐解く上でも、またソ連の北方領土への侵略と不当性を知る上でも、ソ連参戦を要求した米英主導の「ヤルタ秘密協定」の不当性と残虐性を暴き、戦後の不条理と不正義を再検証しなければならない。

 己の土地を他人に奪われて黙っている者はいないだろう。況してや、父祖伝来の国土が強奪されて泣き寝入りする民族が何処にあろうか。

「北方領土奪還」は正に日本民族の悲願であるが、北方領土問題は未だ解決の糸口すら見えて来ないのは一体何故なのか。

 思うに、領土そのものの重要性に対する認識不足と、如何に不法に占拠されたかの真相把握の欠如。つまり、北方領土は第二次大戦終了後に起きた占守島の戦いの後に強奪されたという認識が決定的に欠如しているのだ。

 占守島の戦いを始めとする北方領土での戦いや不当なシベリア抑留と悲劇は我々日本人が決して忘れてはならない歴史である。

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cordial8317 at 06:01│Comments(0)

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