国民精神の頽廃を招いているのは範となる政治家の不作為が元凶ポツダム宣言受諾後に起きた占守島の戦いを忘れるな!

2018年08月15日

それでも8月15日を「終戦記念日」だと言い続けますか?

 8月15日を、多くの国民は疑いもなく「終戦記念日」と言っているが、昭和天皇の「米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書」が渙発されたことを記念しているのであればそれは間違いと言わざるを得ない。8月15日は「戦没者を追悼し、平和を祈念する日」であり、敢えて言うなら「平和祈念日(平和を祈念する日)」だろう。

 昭和20年8月9日(8日未明)、ソ連は「ヤルタ秘密協定」を忠実に実行に移し「日ソ不可侵中立条約」を一方的に破棄し、満州や南樺太に侵略を開始した。

 日本人同胞の虐殺、強姦、略奪がこの日を以て開始され、ソ連兵による鬼畜の如き所業が各地で重ねられた。千島列島の最北端「占守島(しゅむしゅとう)では、8月18日の早暁午前1時頃、占守島の日本軍に対し、ソ連軍が奇襲上陸する。

 ポツダム宣言を受諾により武装解除準備を始めていた守備隊は、この奇襲に対抗する為に武装を整え直し、ソ連に対して自衛戦闘を開始した。

 三日間の戦闘で日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及び、日本軍の圧倒的勝利の中で、8月21日に武装解除に応じ戦闘が終結した。

 日本軍が武装解除を終えたのは3日後の8月24日。だが、その後、占守島の兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士全てがシベリアに強制連行されることとなった。これをしても8月15日を終戦記念日だと言い張るのか。

「占守島の戦い」によりソ連軍の千島列島の占領は遅滞され、その間に米軍の北海道進駐が完了したことで、ドイツや朝鮮半島の様な北海道の分割統治は避けられた。そういう意味でも占守島での戦いには大きな意義があったのだ。

 この後、占守島で自衛戦闘を戦った日本軍の兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士全てがシベリアに強制連行されることとなった。

 理不尽な終戦後の戦争を勇敢に戦った兵士達は、こうした理不尽な仕打ちさえも無条件降伏の無条件のうちだと信じて、飢えにも寒さも耐え、その結果としての知れ切った死すらも潔く受容した。

 8月20日には、樺太真岡郵便局の女子局員伊藤千枝(23歳)可香谷シゲ(23歳)沢田キミ(19歳)志賀晴代(22歳)高石みき(24歳)高城淑子(19歳)松橋みどり(17歳)吉田八重子(21歳)渡辺照(17歳)の9名が最後まで職務を全うし、最後は従容として青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げた。

 外務省の外交文書「ポ宣言受諾関係・善後措置及び各地状況関係」には、ソ連(ロシア)の蛮行が生々しく書かれている。一部摘記する。

 東部北鮮在留日本人の状況として、「ソ連兵ハ30年来ノ怨ミヲ晴ラスハ此時ナリトシ邦人ノ所持品ハ一物ヲモ残サズ略奪シ婦女子ニ対シテハ時所ヲ弁エズ暴行ヲ加フルノ暴挙ノ出テ・・・」

 鉄原(京城東北八十キロ)の状況として、「ソ連進駐ト共ニ市街ノ様相ハ一変シ、ソ連兵市内ヲ横行シ略奪ヲ擅(ほしいまま)ニシ9月1日男24名ヲ本願寺ニ、女32名ヲ広島屋ニ監禁シ女ハ一室ニ一名宛閉ジ若キ娘ハ毎日14、5名、年配ノ婦人ハ毎日10名交代ニ暴行ヲ加ヘ其ノ結果6名ハ死亡シ、然ラザル者モ負傷ノ為歩行ノ自由ヲ失ウニ至ル・・・」

 捉えられた婦女子は「監禁され、ソ連兵に凌辱される」という恐怖から、自裁する道を選択せざるを得なかった女性も少なくない。樺太真岡郵便局の女子郵便局員も大和撫子として自裁する道を選んだ。この様な悲劇が8月15日以降も続いていたことをしてしても8月15日が「終戦記念日」である筈もない。

 現在もロシアは「ヤルタ密約(極東密約)」を楯に参戦の正当性と北方領土の主権を主張している。ヤルタ会談とは、1945(昭和20)年2月4日から11日にかけて、米国のルーズベルト、ソ連スターリン、英国のチャーチルらがクリミア諸島のヤルタに集い行われた密談である。

 この時、ルーズベルトは「南樺太のソ連に返還」と「千島列島のソ連への引き渡し」を条件に日ソ中立条約の破棄を進言し対日参戦を促す。ソ連はこの密約に従ってドイツが無条件降伏した後に国際法を蹂躙し参戦した。

 ヤルタ密約の有効性について英国政府は、ヤルタ会談翌年の1946年2月に疑義を呈していたことが明らかになっている。

 英国立公文書館所蔵の英外交電報では「露の四島占拠根拠なし」として、米英ソがヤルタ密約を公表する2日前に、英外務省から全世界の在外英公館54ヶ所に「緊急且つ極秘」に一斉に送られている。

「ルーズベルト大統領が権限を越えて署名したことや、米上院の批准もない状況下での有効性について米国内で論議が起こるかもしれない」として、「(英国は)その議論に巻き込まれないよう注意すべきだ」と警告している。

 チャーチル首相が1941年8月、ルーズベルト大統領と領土不拡大の原則を謳う「大西洋憲章」に署名しており、ヤルタ密約がこの大西洋憲章に反するとの英政府の認識が示された形だ。

 一方、米国では1953年に就任した共和党のアイゼンハワー大統領が年頭教書演説で「あらゆる秘密協定を破棄する」と宣言している。

 1956年には、アイゼンハワー政権が「ヤルタ協定はルーズベルト個人の文書であり、米政府の公式文書でなく無効である」との国務省声明を発表し、ソ連の北方領土の占有に法的根拠がないとの立場を鮮明にしている。

 つまり、ロシアの主張は明らかな矛盾であり、旧ソ連時代に断行した日ソ不可侵中立条約という国際法の蹂躙も満州や北方領土での蛮行も不法占領も、ヤルタ密約を論拠にしているが正当性は全く無い。

「平和」を考える上で大事なのは戦争の悲惨さを殊更煽るのではなく、ソ連参戦を促した米英主導の「ヤルタ秘密協定」の不当性と残虐性を暴き、戦後の不条理と不正義を再検証することこそ肝要であり、米英ソの不当性が明らかになれば、我が国に対する「悪玉論」も根底から覆ることだろう。

「全国の戦没者を追悼し、平和を祈念する日」に当たり、先の大戦に於いて海外の地で、また戦禍を被り全国で亡くなられた方々、並びに北の島々に眠る同胞の御霊に対し衷心より哀悼の意を表します。合掌再拝。

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cordial8317 at 05:40│Comments(0)

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