靖國神社は追悼の施設ではなく英霊の顕彰を重んじている社であるそれでも8月15日を「終戦記念日」だと言い続けますか?

2018年08月14日

国民精神の頽廃を招いているのは範となる政治家の不作為が元凶

 毎年、マスコミは8月15日向けて戦争特集を組み、安っぽい「平和主義」を振り翳し、国民に如何に戦争は愚かであるかの様な主張を垂れ流す。マスコミや左翼陣営は、先の大戦が愚かな戦争であり、当時の軍部と政府を批判して止まない。

 だが、戦争とは国際法で認められる政治と外交の延長であり、況してや先の大戦の戦争犯罪人は天皇陛下でもなければ大日本帝国憲法でも統帥権でもなく、況して軍部でもなければ軍国主義でもない。

 真の戦争犯罪人は近衛文麿と尾崎秀美らそのブレーン達、即ち日本国内で蠢いていた共産主義者らであり、マルクス・レーニン主義思想という感冒が昭和の悲劇を生んだということは今や歴史的事実である。

 多くの戦死者、戦災者を出し、日本の資産の大部分を失った大東亜戦争とは、ソ連コミンテルンと中国共産党、そして日本に巣食っていた共産主義者が仕組んだ共産革命の実現の為の争いであったのだ。

 当時、我が国が進むべき道を誤ったのは、マルクス・レーニン主義者の策謀にまんまと嵌ってしまったからだが、今も正に、中共の御先棒を担いでいる左翼らこそが戦争を引き起こす要因となる。

 大東亜戦争自体、決して恥ずべきものでもない。我が国は戦いに敗れはしたがアジアの希望の星だったのは紛れもない歴史的事実である。 

 先の大戦を、現代の安っぽい価値観や倫理観で批判することに意味は無く、自虐史観に陥ることでもない。これ正に、米国が統治下に行った日本国民へ贖罪意識を植え付ける為の戦後民主教育の遺物の最たるものであろう。
 
「愚かな戦争」と断じることは容易だが、戦勝国が敗戦国を裁く東京裁判という茶番劇で戦犯として処刑させられた方々や、或いは外国の地で正当な裁判を受けることなくそれを諒としてその罪を償ってくれた方々の命は決して軽いものではない。

 未だ先の大戦を「侵略戦争」と宣い、「アジアの人々に多大の迷惑を掛けた」と罵り続けるが、我が国はアジアを侵略したのではなく、アジア諸国を侵略し搾取していた連合国と戦いに臨んだのだ。

 それでも我が国が、アジアの人々に謝罪をする必要があるというならそれは、その最大の過ちは戦後、中国共産党を始めとして共産主義の跳梁跋扈を許したことであり、償いはその共産主義を失くす以外にはない。

 歴史に「もし」はないが、日米が戦わず、蒋介石との和平が実現していれば満州国は保全され、中華民国は中国共産党を圧倒していただろう。

 そうなっていれば、中国共産党の大躍進や文化大革命、天安門事件も起きなかったし、北朝鮮の独裁政治も拉致事件も起きなかっただろう。

 世界の何処の国でも、国家の危機の要請に応じ、敢然と戦場に赴いて戦い散って逝った英霊に対し感謝の誠を捧げるのは当然のことだ。

 だが、我が国の政治家というのは国家に殉じた英霊に敬意を示すことは少ない。国民の範となるべき政治家のこうした先人を軽んずる姿が、どれだけ国民精神の頽廃を招いていることか政治家どもは省みたこともあるまい。

 愛国心の欠落、その結果としての国防意識の低下、日本人としての誇りや自信の喪失、子殺しや親殺し、自己中心の行為等々、我が国社会に蔓延する問題の全てはそうした政治家の不作為に起因していると言っても過言ではない。

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cordial8317 at 06:02│Comments(0)

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