8月15日のデモや集会を規制し静謐な環境を整えるべし!神となられた英霊に「哀悼」だとか「御霊安かれ」って勘違いも甚だしい

2021年08月14日

靖國神社は追悼施設ではなく英霊の顕彰を重んじている社である

 今年もまた8月15日がやってくる。右翼団体を筆頭に靖國神社での自称愛国者やインチキ保守派らのパフォーマンスを目にするのかと思うと憂鬱でもある。

 我が国の政治家の靖國神社参拝を韓国が批判し、逆に自称愛国者やインチキ保守派らにとっては8月15日の靖國参拝こそが愛国心を表す踏絵の様になってる。

 靖國神社は追悼施設ではなく、英霊の功績を顕彰する神社である。「哀悼」とか「追悼」とは、死者の生前を偲び、その死を悼み悲しむことである。「慰霊」とは霊魂を慰めること。英霊は神となられたのだから哀悼の意より感謝の誠だろう。

 自称愛国者や右翼団体や営業保守派らが「英霊に哀悼の誠を捧げて来た」と言って悦に入る。昨日(13日)に参拝した岸信夫防衛大臣も同じく「哀悼」を口にしてたが、こうしたパフォーマンスを喜ぶ保守派というのは実に単純で騙し易い(笑)

 靖國神社は追悼施設ではなく英霊の顕彰を重んじている社であるということを理解していないからこんなことが罷り通る。抑々、近所の神社に参拝して哀悼を言うか。日々の我が暮らしの御加護に感謝して首を垂れる。靖國神社も同じ。

「顕彰」とは、生前の功績や善行などを称えて広く世間に知らせることである。顕彰ということを重んじるなら、8月15日に靖國に赴くことが重要ではなく、あの左右入り乱れての喧騒は逆効果の方が大きいということが何故に分からないのだろう。

 一般に8月15日を「終戦記念日」というが、正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」。右翼団体までもが東京裁判史観に冒されて「終戦」の意味を穿違えて靖國神社に詣でるなど笑止千万。正しく右翼の指導者不足は顕著である。

 こうしたことでも、我が国は「終戦」とは名ばかりの未だ主権快復も出来ていない幼冲国家だと痛感する。米国依存からの脱却なんぞ夢のまた夢である。

 昭和天皇の御聖断に拠り、ポツダム宣言受諾が決定されたのが8月14日である。15日は「終戦の詔勅(玉音放送)」が渙発された日というだけのこと。

 8月15日を「終戦記念日」と称し、この日に初めて参拝したのは容共の三木武夫だった。その後、中曽根康弘が公式参拝のパフォーマンス。総裁選に出馬した小泉純一郎が8月15日の靖國参拝を利用した。安倍晋三など何れも国賊ばかりなり。

 過去には、総理大臣は春秋の例大祭に参拝するのが恒例だった。三木の前の首相である田中角栄も大平正芳も8月15日ではなく春秋の例大祭に参拝している。

 昭和60年に中曽根康弘が公式参拝のパフォーマンスを謀るも中共との外交問題から直ぐに撤回。未だに続く「公人か私人か」の論争は、三木の8月15日の参拝がきっかけだった。三木の後に福田赳夫がマヌケにも「私的参拝だ」と応えた。

 三木、中曽根の参拝以降、靖國神社が外交問題に発展し政治利用される様になって行く。小泉純一郎は「如何なる批判があろうとも8月15日に靖國神社へ参拝する」と保守陣営を喜ばせるも、靖國の政治利用は混乱を招いただけのものだった。

 こうした経緯で始まった8月15日の参拝に違和感を覚えず「我こそは愛国者なるぞ!」と靖國に集まって来る連中を見るとホント情けなく滑稽にしか見えない。

 我が国がポツダム宣言による降伏文書に調印した日は9月2日であり、連合国はその翌日3日を「対日戦勝記念日」としている。戦争状態が終結したのは昭和27年4月28日であるなら、真の終戦記念日は主権快復した4月28日となるのである。

 況してやソ連軍の北方領土での鬼畜の如き蛮行や占守島の戦いは8月15日以降に起きたことだ。右翼団体にしろ、なんちゃって保守派にしろ「終戦記念日」という呼称こそが、GHQによる戦後民主主義教育の象徴であることに気付くべきだ。

 8月15日は戦陣に斃れた英霊の日であるならば、英霊の遺族が心静かに詣でる環境を整え、そして陛下の御親拝を仰ぎ奉ることこそ心から願うべきである。

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cordial8317 at 06:33│Comments(0)

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