日露戦争も大東亜戦争も目指した大義は「人種平等の原則」である国民精神の頽廃を招いているのは範となる政治家の不作為が元凶

2018年08月13日

靖國神社は追悼の施設ではなく英霊の顕彰を重んじている社である

 今年もまた右翼団体を筆頭に靖國神社での自称愛国者やインチキ保守派らのパフォーマンスを目にするのかと思うと憂鬱でもある。

 8月15日の参拝が右翼や保守派、自称・愛国者らの踏絵の様になってるが、正に贔屓の引き倒しであり、靖國神社と英霊への冒涜でもある。

 況してや靖國神社は英霊を追悼する施設ではなく、英霊の功績を顕彰する神社である。にも拘らず、自称愛国者や右翼人までもが恥しいことに「英霊に哀悼の誠を捧げて来た」と言って憚らない。

「哀悼」とか「追悼」とは、死者の生前を偲び、その死を悼み悲しむことであるが、靖國神社は追悼の施設ではなく英霊の顕彰を重んじている社であるということを理解していないからこんなことが罷り通る。

「顕彰」とは、隠れた功績、善行などを称えて広く世間に知らせることである。顕彰ということを重んじるなら、8月15日に靖國に赴くことが重要ではなく、あの左右入り乱れての喧騒は逆効果の方が大きい。

「終戦記念日」というが、正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」。右翼団体までもが未だ東京裁判史観に冒されて「終戦」の意味を穿違えて靖國神社に詣でるなど笑止千万。右翼の指導者不足は顕著である。

 こうしたことでも、我が国は「終戦」とは名ばかりの未だ主権快復も出来ていない幼冲国家だと痛感する。米国依存からの脱却なんぞ夢のまた夢。

 昭和天皇の御聖断によりポツダム宣言受諾が決定されたのが8月14日。15日は終戦の詔勅(玉音放送)が発布された日というだけのこと。

 8月15日を「終戦記念日」と称し、この日に初めて参拝したのは容共の三木武夫であり、中曽根康弘と続く。またその後、8月15日をの靖國参拝を利用したのが小泉純一郎。安倍も似た様な者だが何れも国賊ばかりなり。

 過去には、総理大臣は春秋の例大祭に参拝するのが恒例だった。三木の後に首相に就いた田中角栄も大平正芳も8月15日ではなく春秋の例大祭に参拝している。

 昭和60年の中曽根康弘が公式参拝のパフォーマンスを謀るも直ぐに撤回。未だに続く「公人か私人か」の論争は、三木の8月15日の参拝がきっかけで始まった。三木の後にアホな福田赳夫が「私的参拝だ」と真似た。

 三木、中曽根の参拝以降、靖國神社が政治利用される様になって行く。小泉純一郎は「如何なる批判があろうとも8月15日に靖國神社へ参拝する」と保守陣営を喜ばせるも、靖國の政治利用は混乱を招いただけのものだった。

 8月15日の参拝に違和感を覚えず「我こそは愛国者なるぞ!」と靖國に集まって来る連中を見るとホント情けなく滑稽にしか見えない。

 我が国がポツダム宣言による降伏文書に調印した日は9月2日であり、連合国はその翌日3日を「対日戦勝記念日」としている。戦争状態が終結したのは昭和27年4月28日であるなら、真の終戦記念日は主権快復した4月28日だろう。

 右翼にしろ、なんちゃって保守派にしろ「終戦記念日」という呼称こそがGHQによる戦後民主主義教育による洗脳であることに気付くべきだ。

 8月15日は戦陣に斃れた英霊の遺族の日であり、遺族が心静かに詣でる環境を整え、そして陛下の御親拝を仰ぎ奉ることこそ願うべきである。

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cordial8317 at 05:25│Comments(0)

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