原爆投下は人種偏見や日本人蔑視以外に合理的根拠は見つからない「沖縄の非武装地域化こそ東アジアの平和のために必要です」という宮崎駿の妄想

2018年08月07日

保守を自任する自民党内に於いて保守票目当てに行動する保守系議員

 古屋圭司ら保守系を自任する自民党議員が菅官房長官と会談し、新元号の制定と発表は来年5月1日の皇太子殿下の即位後とするように要請した。

 自民党内でもタカ派だという彼らは、皇室典範への譲位附帯に反対し、大嘗祭についても、現憲法に明記していないことを理由に国事行為ではなく公的な皇室行事とするとの閣議口頭了解に異を唱えたとは聞いてはいない。

 男子皇族減少との理由から女性宮家論に反対もせず、GHQに強制的に臣籍降下させられた旧皇族方の皇籍復帰を進言したということもない。皇統断絶の謀(はかりごと)に対峙せずして何が保守か、何が愛国者か。

 自民党内で彼らは保守派を気取ってはいるが、保守を自任する自民党内に於いて保守票目当てにそのバランスを保つ行動をしてるだけに過ぎない。

 古屋らも保守派を自任するならば施行日時云々より、元号の必要性と我が国の歴史に果たした重要性を啓蒙すべきである。

 陛下や皇室に対する尊崇の念が薄れつつある現在、悲しい哉、西暦こそが「国際暦」であり世界で一般化しているとして元号を否定し、国民は「皇紀」という我が国の年号さえも忘れてしまっている。

 元号が「古臭く時代遅れ」であるかの様な認識は、田舎言葉の「英語」が国際語だから日本語を廃止して英語だけにしろという暴論と同じ様なものだろう。

 我が国は645年、第36代孝徳天皇時代に「大化の改新」を果たして。この御代に建てた「大化」が元号の始まりである。孝徳天皇の崩御後には新たな元号は定められなかったが、後に「白雉」「朱鳥」が建てられた。

 斉明、天智、弘文天皇の御代には定かでないとされているが、文武天皇の御代に「大宝」という号が建てられ、今日の「平成」に至るまで約1300年もの間途切れることなく続いている正に我が国文化の象徴である。

 元号の数は、所謂「南北朝時代」に並行した元号を合わせると実に248に及ぶ。これもまた、我が国の歴史が天皇を中心に織りなされて来たという厳然たる事実の証明でもあり、正しく我が国は天皇の国であると痛感する。

 元号の改定は、徳川時代でも朝廷の大権だった。江戸時代中期の学者・新井白石も「折焚く柴の記」で、「元号だけは朝廷の御定めになることである。武家の関することではない」と綴っていることでも明らか。

「一世一元」となったのは、明治21年の紀元節(2月11日)に制定された旧皇室典範第12条の「践祚ノ後元号ヲ建テ一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト明治元年ノ定制ニ従フ」が基となっている。現皇室典範には元号に関する規定はない。

 昭和54年に要約「元号法」が成立する。この時、左翼陣営は「元号は天皇主権の旧憲法への逆戻り」「元号は天皇元首化の動きと直結」「元号によって天皇の権威を国民の隅々にまで行き亘らせる狙い」だと騒ぎ立てた。

 正に「元号」は共産党らが指摘した通りである。明治欽定憲法を復元し、万世一系の天皇を我が国元首として仰ぎ奉り、陛下の御稜威を国民生活の隅々にまで行き亘らせることにあるのは当然で、それは日本国民として当然の願望である。

 歴代天皇は数年から10年を目途に、節季の習俗を時代の流れとして「改元」し、巧みに時代転換をして来た。だが、明治の皇室典範制定で「一世一元」となり、その後も暗黙にこの一世一元が守られてきた。

 幕末の混乱期に御即位した孝明天皇は、御在位21年の間に「嘉永」「安政」「万延」「文久」「元治」「慶応」と実に6回も改元為された。これ即ち幕末という混乱の時代を如何に転換させるかの苦衷の表れであろう。

 であるならば、今上陛下に於かせられては平成の激動の時代に区切りを付ける為に改元することが望ましいものであると思ったが、不敬にも「生前退位」なるものが実行され平成の御代の終焉を謀られてしまった。

 我が国はいつの世も時の陛下の御代である。そこには「君が代」の世界が厳然と存在する。その御代を端的に表現するものが「元号」である。これこそが我が国の国體の精華であり、世界に誇る我が国の美風でもある。

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cordial8317 at 07:59│Comments(0)

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