池田太作の地元紙への投稿記事に反創価学会の愚生でさえ感心したのだから信者は感涙に咽び泣いたに違いない(笑)イベント化しつつある平和運動と右翼陣営の靖国参拝

2018年08月01日

「日中戦争」ではなく「支那事変」「日華事変(日支事変)」。「太平洋戦争」ではなく「大東亜戦争」

 今日は葉月朔日。身を清め、神饌を替え、畏れ多くも陛下の安穏と皇室の弥栄を祈念する。今月は生誕月でもあり、果報を期待している(笑)

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 昨日、二本松の銘菓「玉嶋屋の玉羊羹」を頂戴した。愚生は左党だが甘いものにも目がない。箱には玉羊羹の歴史が書かれた栞が同封してあった。読めば「日中戦争」とか「太平洋戦争」との表記に違和感を覚える。

 やはり日本人なら「日中戦争」ではなく「支那事変」とか「日華事変(日支事変)」、「太平洋戦争」ではなく「大東亜戦争」と呼称すべきで、老舗ならば尚更。こうした何気ないことでもGHQの言論統制の名残を感じる。

 閑話休題。毎年、暑い時期になると6日の広島、9日の長崎と原爆が投下された日に焦点を合わせ、所謂「平和屋」、似非平和団体の主催の「原水爆禁止世界大会」が開催され、原発事後、フクシマも利用されている。

 世界から核兵器が無くなることに越したことはないが、現実的には不可能なことであって、況してや核兵器も保持していない日本国内で「核兵器反対!」なんぞ訴えても何の意味もない。

 この原水爆禁止運動は「世界から核兵器を無くそう」という思う純然たる市民の街頭での署名活動から始まったものだった。

 その署名活動の輪が急速に全国に広がって行くのに目を付けた旧日本社会党と日本共産党がその活動に割り込みを図り、イデオロギーに汚染させ、終には主導権争いを演じて分裂させてしまう。

 それが旧社会党系の「原水禁」と、共産党系の「原水協」である。こうした分裂は教職員組合が「日教組」と「全教」に分断した構図と同じで、こうしたことだけでも連中に「平和」など口にする資格はない。

 連中の目的は「平和」とは名ばかりで、原爆を投下したのが米国だから騒いでるだけの「反米活動」であり、彼らは平和主義によって平和という現実や効果を求めているのではなく、その目的は別に在る。

 彼らのその目的とは言うまでもなく革命であり、我が国柄の破壊である。その目的を達成する上で「平和」という言葉こそが最も効果的な武器なのだ。

 左翼や平和団体の「反米」とは、米軍の実行した戦後民主主義(自虐史観)による洗脳であるが、未だその洗脳から目覚めようともせず、いけしゃあしゃあと「反米」を口にするとは滑稽極まりない。

 原爆投下による被害は甚大ではあったが、原爆投下によって戦後こういう「反米」「反基地」の珍種が殖えてしまったのは皮肉な結果でもある。

 戦後民主主義とは、自国の歴史を汚辱に塗れた過去と捉える自虐史観であるが、たった7年の統治で日本は全く別な国になってしまった。

 その教育で育った者は、国家から恩恵を享けながら、個人と国家を常に対立させ、恰も国家は、人間を抑圧する組織と見做し、反国家反体制のポーズを採ることが進歩的で文化的だと錯覚し、幼稚な正義感を押し付けている。

 戦後GHQの統治下で実行された戦後民主主義教育に因って、日本人の中に別なニホンジンを創り上げた。我が国を実験台にした様々な弱体化政策は米国が予想した以上の成果(悪害)を齎し、我が国を蝕み続けている。

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cordial8317 at 08:42│Comments(0)

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