安積疏水事業は大久保利通の夢だったのか戊辰戦争開戦150年、「領民が東西両軍を問わず戦死者を手厚く葬った」という美談

2018年07月16日

「海の日」が7月20日でなければならない理由

「海の日」の趣旨は「国民が海の恩恵に感謝し、海洋国家の繁栄を祝う日」であるが、本来の意味は全く違うものだ。

 戊辰戦争で「朝敵」「逆賊」に仕立てられた会津藩は、不毛の領地「斗南藩」に移されることで終結する。開拓は艱難辛苦を極めたが、その開拓がその後の津軽、青森の発展に寄与したことは言うまでもない。  

 会津藩に限らず戊辰戦争で幕府に恩義を感じ、抗戦し、敗れた多くの東日本の雄藩は、新政府に参政することなく辛苦の日々を送っていた。

「賊軍」の汚名を着せられた方々は新政府に対して言いたいことは山ほどあっただろう。だが彼らは臥薪嘗胆、耐えることで国全体が保たれるのならばそれを諒として己の悲運を甘受し、その抗し難い天命を潔しとした。

 明治9年、畏れ多くも明治天皇は、東北地方へ約50日間に及ぶ巡幸に臨まれた。この巡幸の目的が戊辰戦争に敗れて以降、艱難辛苦の日々を送っていた会津藩を始めとした人々を明治天皇が慰撫し、激励する為に他ならない。

 出発は6月2日、馬車で福島から仙台、岩手、青森と北上、次いで明治丸で津軽海峡を渡り、函館を経て三陸沖を海路戻るというコースを辿っている。

 この間、東北の人々は巡幸の先々で奉迎した。明治天皇もこれに応え、各地で開墾や産業の振興に尽くした功労者を労らわれている。

 愚生の住む郡山(安積)では、荒野を拓いて出来たばかりの桑野村まで分け入り、開拓者の苦労話に耳を傾けられ、金五万円を下賜された。

 因みに、巡幸の下見に来た大久保利通は、福島県と「開成社」が進めてきた疎水事業に感銘しその実行を決断する。つまり、昨日のブログの続きになるが安積疎水事業は大久保の夢ではなかったということがこれでも分かる。

 青森県弘前の「東奥義塾」では外国人教師による英語教育が行われていて、生徒10名が英語を披露。天皇はその進取の気象に感心され、「ウェブスター辞書を買う代金に」と一人につき金五円を下賜された。

 或る地方では、小学生が献上した蛍一籠を嘉納され、岩手では太布半纏(ふとのばんてん)と呼ばれる農民の仕事着をお買い上げ遊ばされている。

 巡幸先でのどの逸話も明治天皇の慈愛が満ち溢れたもので、天皇と国民は正に君民一体であることを痛感する。

 戊辰戦争で「朝敵」や「賊軍」とされ、辛苦を極めた東北の人々との間に親しく絆を結ぼうと努める明治天皇の大御心とその面影が偲ばれる。

 この東北・北海道の巡幸を以て、逆賊も朝敵もなく、一切の蟠りも無くなったのだ。だが、明治新政府は東軍の死者を靖國神社に祀ることなく、幕末から明治新政府樹立後の不正義と不条理を糺すことはしなかった。

 青森港から「明治丸」に御乗船遊ばされた明治天皇は函館を経由し、太平洋沿岸を通り、横浜に帰港された。その日が7月20日であり、この7月20日以外の「海の日」に何の意味が在るというのか。

「海の日」が左翼らの企てによりハッピーマンデーに組み込まれてしまった。自民党は以前、「海の日」を従来の7月20日に変更する祝日法改正案の提出を計画したことがある。保守政党として当然の認識だろう。

 だが、情けないことに「三連休が減る」ことで観光産業への打撃を懸念する党内の慎重派に配慮して、祝日法改正案提出さえも断念した。

 何たることか。これが本当に保守政党なのか。何が「観光産業への打撃」か。「祝日」は単なる「休日」ではないのだ。

「海の日」に対して「山の日」という意味不明の休日がある。「八」の文字が山の形に見えるので「8」、木が立ち並ぶイメージから「11」ということで、8月11日を「山の日」に制定したそうだ(笑)

「海の日」をハッピーマンデーにしときながら、「山の日」は8月11日に固定。これも観光産業へ配慮して強制的に盆休みにさせる為のものでしかない。

「山の日」とは違い、「海の日」には我が国の君民一体の国柄、天皇と国民を繋ぐ深い謂われがあったということを我々は知らねばならない。

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cordial8317 at 07:02│Comments(0)

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