西郷隆盛は語られている様に傑物だったのだろうか・・・「海の日」が7月20日でなければならない理由

2018年07月15日

安積疏水事業は大久保利通の夢だったのか

 地元紙の投稿欄に、安積国造神社の安藤智重宮司の記事が載っていた。「安積疏水事業 大久保の夢?」と疑問符が入っていることでも分かる様に、現在、郡山市が取り組んでいる日本遺産・安積疏水への疑問でもあり、一石を投じている。

 愚生も郡山市のパンフレットを見て大久保利通ばかりを持ち上げ、疎水事業を提案した渡邊閑哉が全く出ていない内容に疑問を抱いていた。

 支那の諺に「井戸を掘った人を忘れるな」というものがある。毛沢東を称える言葉ではあるが、安積疏水という井戸を掘ったのは大久保利通ではなく、安積原野の開拓には猪苗代湖からの水を引き入れることを提案した人達である。

 投稿では「疎水の夢を実際に描いたのは渡邊閑哉(岩代)と小林久敬(須賀川)である」と述べているが、安積疏水事業は大久保の夢ではない。

 投稿に拠れば、当時の国家予算は7000万円で疎水事業の予算は62万円。これが事実であれば「国家予算の三分の一を要した大事業」というのは嘘だ。況してやその事業予算も10年返済の起業公債だったというではないか。

 大久保は「士族授産と殖産興業を結び付けた開拓事業を安積原野で展開することで、この地の発展に国の未来を見ていた」という。

 だが、大久保や明治新政府が目指したものは「殖産興業」を実現させた上での「富国強兵」であり、安積原野開拓はその魁となっただけだ。

 明治11年、大久保は不平士族6名によって暗殺される。斬奸状には「不要な土木事業・建築により、国費を無駄使いしている」という理由が挙げられている。

 明治11年に着工された安積疏水事業は国費の無駄だとは思わないが、大久保の身から出た錆でもある。

 疎水事業を提案した渡邊閑哉(義右衛門)は二本松藩の思想家。旧岩代町(現二本松市)、愚生の故郷の偉人である。

 布沢村や鈴石村の名主(村長)に就くと、荒地には馬鈴薯を作らせ川に竹(かんさい竹)を植えさせ洪水を防ぐなどして開墾を勧め、村を立て直した。

 因みに、今でも二本松界隈ではジャガイモを「かんぷら(かんさい)イモ」と呼ぶが、こうしたことでも閑哉が親しまれていたことがよく分かる。

 閑哉の偉業は、村の財政立て直しや安積疎水だけではなく多岐に及ぶ。伊勢、京都、奈良、四国、九州を遍歴。国学を重んじ、歴史に造詣が深く、財政再建や防災なども先人に学んだ所が多く、勤倹力行や率先垂範は偉人に共通するものだ。

 因みに「国学」とは、日本の古典を有りの儘に吟味して、古事記や日本書記といった古典に込められている純日本的精神を追求しようとした学問であり、中世以来の儒教、仏教等を拠り所とする日本古典の研究に反対する思想でもある。

 安積の地(郡山)は元々は二本松藩の管轄で、明治新政府によって、士族を入植させての安積開拓の案が浮上する。それには不毛の地であった安積平野に猪苗代湖の水を運ぶことは必要十分条件でもあった。

 閑哉は、これに先駆け明治3年、安積疎水開拓の建白書を県令に提出。自らに現場に赴き「山潟案(やまがたあん)」を提唱した。だが、その3年後に閑哉は幽冥境を異にして、安積疏水の完成を見ることはなかった。

 明治9年、明治天皇の東北巡幸の下見に来た大久保は、福島県と開拓団の「開成社」が進めてきた疎水事業に感銘しそれを決断する。予算などの実行は大久保の力添えは当然ながら、それをして安積開拓の夢だとするのは如何なものか。

 疎水が着工されたのは、閑哉が建白書を提出してから8年後だった。工事には3年の年月を要し、明治15年に漸く完成した。安積疏水の水路は閑哉や小林久敬らの三つのルートが提案され、閑哉の提案した「山縣案」が採用された。

 郡山市のパンフレットには発案者である閑哉が登場することなく、恰も大久保利通が国家予算の三分の一を投じて完成させた大事業だったとしているが、余りにも明治政府や時の権力者だった大久保に阿る歴史認識ではあるまいか。

 尤も、郡山市の明治以降の歴史を見ると明治新政府の歴史認識が目立ち、西軍が民衆を助ける側で、会津藩を始めとする東軍は大槻村などに火を放ち大衆を路頭に迷わせたなどと賊軍として扱われている。安藤宮司の新聞投稿での指摘を機に、郡山市は明治新政府寄りの歴史認識を見直してみたら如何か。

 話は逸れるが、郡山市が安積疎水事業と安積開拓の大功労者と称える大久保利通は、日本で初めて栽培された薩摩の指宿煙草を愛用していた大のヘビースモーカーだったことは有名。品川萬里郡山市長は愛煙家を薬物中毒に準えているが、愛煙家の大久保は草葉の陰でこれを聞いて呆れているに違いない(笑)

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cordial8317 at 08:43│Comments(0)

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