国家転覆を謀ったオウム真理教の凶賊らの遅過ぎる死刑執行西郷隆盛は語られている様に傑物だったのだろうか・・・

2018年07月08日

テロリスト集団への死刑執行に抗議の声が挙がる不思議

 30人を殺害(他に行方不明者多数)、負傷者数6000名という未曾有の犯罪行為を実行し、皇居などへ炭疽菌やボツリヌス菌を散布するなど国家転覆を謀ったオウム真理教の凶賊らの死刑執行に対し抗議の声が上がっているという。

 オウム真理教は明らかなテロ集団であるが、何故かそれを庇い「麻原彰晃の供述が無いままに死刑執行したことは人権無視の暴挙だ」「狂っている」と騒ぎ立てている。狂ってるのは自分達の方だという認識もない。

 別に麻原が卑怯にも黙秘しようが、オウム真理教に因る様々な事件の真相は裁判で解明されている。因みに、麻原の精神障害らしき症状は「詐病」とされており、麻原の三文芝居に過ぎない。役者やの~(苦笑)

 抗議の声を挙げているのは御決まりのアホ左翼らだが、中でもオウム真理教の取材で一躍有名になった有田芳生は、御丁寧にも前日の安倍首相や上川法務大臣らの会合の写真をアップしてその「宴」を批判し、死刑執行に疑問を呈す。

 過去最大の死刑執行を認可した法務大臣は鳩山邦夫の13人。上川陽子大臣は今回の7名を入れて10人。残りのオウム真理教の死刑囚を執行すれば鳩山を抜き歴代最多となる。女性ながら大したものだと思うが、反対派はオウム真理教の凶悪な犯罪には沈黙して、上川大臣に批判の矛先を向けて晒し者にする。

 1歳の子供を含む30人を殺害しても尚も庇う理由を教えて欲しいが、明確に答えている反対派は皆無。その殆どが「死刑制度廃止は国際的流れ」だとか「麻原本人が供述していないのに」という御粗末な請け売りばかり。

 死刑廃止を訴える胡散臭げな国際団体のアムネスティなども上川大臣への批判の声を挙げる。この連中が、北朝鮮の公開処刑や中共の人権弾圧や人民虐殺に抗議の声を挙げたことがあったか。要は単なる日本バッシングでしかない。

 昨年、ここ10年の法務大臣と死刑執行の数が発表された。10年で18人という大臣が就任している。民主党政権下の柳田稔、仙谷由人、江田五月、平岡秀夫、田中慶秋、滝実。安倍政権下では松島みどりの死刑執行人数は0。

 刑事訴訟法では、死刑確定から6ヵ月以内の執行を定めており、何れも6ヶ月以内に検察庁が法務大臣に「死刑執行上申書」を提出し、規定通り押印し、「法相の命令から5日以内に執行されなければならない」と定められている。

 法務大臣の心情なんぞ関係なし、法務大臣の任を享けたのならば覚悟を以て大臣としての職務を遂行するべきでだ。それも出来ないのなら法務大臣の就任は拒否するべきで、大臣なら何でも頂いておこうとという気持ちが情けない。

 我が国の死刑制度は、「仇討ち禁止令」や「決闘禁止」に代わるものとして明治6(1873)年2月、司法卿であった江藤新平が「復讐禁止令(仇討ち禁止令。太政官布告第37号)」を発令したことに始まる。

 幕末から維新期の派閥、政論の対立による暗殺とその報復という面があったことから、「この種の紛争を断ち切る」という目的だった。明治22年には「決闘罪ニ関スル法令」も発布され、敵討ちや復讐は全面的に禁じられた。

 主君や親兄弟などを殺した者を討ち取って恨みを晴らすことは、日本人の美意識の顕れともいえる。江戸時代には武士階級の慣習として公認され「敵討ち」と認められれば罪に問われなかったばかりか、それは美化され大衆の支持を得た。

「赤穂浪士」が未だ日本人の美学とされているのもそういうことだ。現代でも「死刑制度」を容認する国民が80%以上もいるのは、国が遺族に代わって遺恨を晴らして欲しいという気持ちの顕れに他ならない。

 死刑廃止論者は、その理由を「国際人権基準」がどうのだとか「非人道的」とか「生きる権利の侵害」だとか「死刑囚の資料を精査する十分な時間があったとは思えない」とか、被害者側に立った意見は殆ど聞かない。

「死刑廃止は今や世界の大勢で日本もそうすべきだ」という意見は少なくない。だが、いつも思うことだが、この「世界では」とか「どこそこの国では」という都合の好い屁理屈は、実に胡散臭げなものばかり。

「世界ではこうだ」というが、世界で美的感受性や道徳の圧倒的高さを有する国家は我が国を措いて他はない。都合の好い部分を模倣しようなどというのは、祖国日本や日本人としてのコンプレックスの裏返しでもある。

 世界中が嘘八百並べても日本だけは絶対にしない。絶対に世界の真似をしないという、そういう自信や誇りというものを失ってはならないのだ。そういう意味では孤高の日本で良いし、死刑制度も日本独自で維持するべきだ。

 死刑廃止の理由を列挙すれば「法により国が人を殺す事は罪悪で人道に反する」「死刑には期待する程犯罪防止効果は無い」「冤罪の場合に取り返しが付かない」「人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しているのだ」など様々。

「冤罪」というのは、袴田事件を見るまでもなく確かに有り得なくはないが、それは警察捜査の傲慢さと科学捜査の正確さが乏しい時代のものが殆どで、そういう疑いのある事件は再審対象にすれば好いだけの話し。

「人道に反する」とは、「人を裁けるのは神のみだ」というキリスト教的欧州思考に冒されている典型だが、そんなものに与する方が間違いだ。

 左翼人士や自称・人権派弁護士などにこうした主張をする人を見かけるが、日頃、反米を唱えながら、また無神論者でありながら、都合の好い部分は米国でもキリスト教でも利用してやろうという精神はホント逞しい(笑)

 残虐な犯行をした者が、死刑廃止で国法により生命を保証されるというのも如何なものか。況してや麻原を始め再審請求を利用して執行停止を謀るなど笑止千万。「生」に拘るより「死」を以て償うべきだと思うのは愚生だけではあるまい。

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cordial8317 at 06:41│Comments(0)

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