2021年05月05日
五月五日は「男子の健やかな成長を願う」端午の節句
今日は「こどもの日」。古くは「端午の節句」として、菖蒲や蓬を軒に挿して邪気を払う習わしがあったが、江戸時代以降は男子の節句とされ、武家で甲冑や幟を飾ったことに倣い、町人も武者人形や鯉幟を立て祝う様になった。
「男子の健やかな成長を願う」ということに、いつものジェンダーフリーを妄信する性的変質者の左翼オバハンらが「女の子への差別」だと反発し今日に至っている。
五月五日は別名「あやめの節句」や「菖蒲の節句」とも言われ、五が重なる「重五(ちょうご)」「端陽(たんよう)」と、縁起の良い日とされている。
「こどもの日」の趣旨とは、「未来を担う子供の人格を重んじ、幸福を図ると共に、子供は自分を生み育ててくれた親に感謝する日」である。
制定された当時は「親」ではなく「生んでくれた母に感謝する日」だったが、この「母」にも前出のオバハンらが騒ぎ立て「親」となった。「母の日」は、欧米に倣い今月の第二日曜日に設けられてるが、本来は5月5日でもあったのだ。
昨今、主流の「男女共同参画社会」とはこうした言葉遊びで男女の差別を無くそうというマヌケな謀に過ぎない。「子供」も今では「子ども」表記が氾濫している。
文科省は平成25年6月、国会での議論を経て、左翼やマスコミが使用する「子ども」表記を「子供」に統一する通達を出した。だが、今でも改められることなく、通達を出した与党の自民党議員までも「子ども」を使用しているマヌケさ(苦笑)
日本共産党やマスコミらが「子供」や「こども」ではなく、敢えて「子ども」表記を使うのは「子供」の「供」という字が、「お供え物」「お供する」などを連想させ、「差別的な印象を与える」というのがその最たる理由である。
「お供する」というが、その場合「お伴する」が正解。ならば、態態「子ども」表記じゃはなく、平仮名の「こども」で好いではないかと思うが、何故か文科省通達を無視して漢字と平仮名の「子ども」表記に固執している。
悪党や政治家らを悪意的に「悪党ども」とか「政治家ども」とか詰ったりするし、古い映画などでは「野郎ども」「若造ども」などと言ったりする。「ども」とは敬意が低く、目下の者や見下した意味合いに用いられる場合が殆どだ。
この場合の「ども」は漢字だと「共」だが、子供の「供」を「子ども」と表記することは、逆に言葉遊びで子供を弄んでいると捉えられても致し方ない。
こうしたマヌケなギャグの様なことを真顔で実行し、それを疑いもせずに真似て使用し続けてるる自民党や自称保守派というのもまた嗤うしかない。
「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼陣営による共同謀議的大愚策の最たるものなのだが、これを改めることなく保守を標榜する自民党政権下で実行し、担当大臣が存在しているのだから呆れ甚し。
こうしたキモ~イ屁理屈を並べ立てて騒いだのは、全共闘世代や共産党といったいつものキチガイ左翼やジェンダーフリーを叫ぶ性的変質者どもだが、そうしたクソどもらが総理府など政府中枢に入り込んでいたことに驚くしかない。
「子供」と同じ様に「婦人」という言葉も、こうしたキチガイ破壊活動家どもの企てによって公文書から消されてしまった漢字の一つである。
これは漢字研究者の諸橋轍次が、後漢の時代の「説文解字」を紐解いて「婦人とは箒(ほうき)を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに、前出のキチガイどもが飛び付いて「女性差別」だと叫んで「婦人」を抹殺したというのが事の始まり。
その結果、「婦人警官」が「女性警察官」となり、「看護婦」が「看護師」、「女優」が男女に関係なく「俳優」と呼ばれる様になったのもこうした影響からだ。
その後、諸橋の説は全くのウソだとバレた。甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。だが、彼奴らはその間違いを認めることなく使い続けている。
因みに「看護師」の「師」というのは、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」の旁(つくり)は、軍隊で肉(食料)を分けることが原義。
普段声高に「反戦平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもがその漢字の意味も分からず、「看護婦」を「看護師」などと呼び換えて悦に入り、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用していることはマヌケで滑稽と言う他はない。呵呵。
※コメントは煩わしいので会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方や御意見は mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。
〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ
「男子の健やかな成長を願う」ということに、いつものジェンダーフリーを妄信する性的変質者の左翼オバハンらが「女の子への差別」だと反発し今日に至っている。
五月五日は別名「あやめの節句」や「菖蒲の節句」とも言われ、五が重なる「重五(ちょうご)」「端陽(たんよう)」と、縁起の良い日とされている。
「こどもの日」の趣旨とは、「未来を担う子供の人格を重んじ、幸福を図ると共に、子供は自分を生み育ててくれた親に感謝する日」である。
制定された当時は「親」ではなく「生んでくれた母に感謝する日」だったが、この「母」にも前出のオバハンらが騒ぎ立て「親」となった。「母の日」は、欧米に倣い今月の第二日曜日に設けられてるが、本来は5月5日でもあったのだ。
昨今、主流の「男女共同参画社会」とはこうした言葉遊びで男女の差別を無くそうというマヌケな謀に過ぎない。「子供」も今では「子ども」表記が氾濫している。
文科省は平成25年6月、国会での議論を経て、左翼やマスコミが使用する「子ども」表記を「子供」に統一する通達を出した。だが、今でも改められることなく、通達を出した与党の自民党議員までも「子ども」を使用しているマヌケさ(苦笑)
日本共産党やマスコミらが「子供」や「こども」ではなく、敢えて「子ども」表記を使うのは「子供」の「供」という字が、「お供え物」「お供する」などを連想させ、「差別的な印象を与える」というのがその最たる理由である。
「お供する」というが、その場合「お伴する」が正解。ならば、態態「子ども」表記じゃはなく、平仮名の「こども」で好いではないかと思うが、何故か文科省通達を無視して漢字と平仮名の「子ども」表記に固執している。
悪党や政治家らを悪意的に「悪党ども」とか「政治家ども」とか詰ったりするし、古い映画などでは「野郎ども」「若造ども」などと言ったりする。「ども」とは敬意が低く、目下の者や見下した意味合いに用いられる場合が殆どだ。
この場合の「ども」は漢字だと「共」だが、子供の「供」を「子ども」と表記することは、逆に言葉遊びで子供を弄んでいると捉えられても致し方ない。
こうしたマヌケなギャグの様なことを真顔で実行し、それを疑いもせずに真似て使用し続けてるる自民党や自称保守派というのもまた嗤うしかない。
「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼陣営による共同謀議的大愚策の最たるものなのだが、これを改めることなく保守を標榜する自民党政権下で実行し、担当大臣が存在しているのだから呆れ甚し。
こうしたキモ~イ屁理屈を並べ立てて騒いだのは、全共闘世代や共産党といったいつものキチガイ左翼やジェンダーフリーを叫ぶ性的変質者どもだが、そうしたクソどもらが総理府など政府中枢に入り込んでいたことに驚くしかない。
「子供」と同じ様に「婦人」という言葉も、こうしたキチガイ破壊活動家どもの企てによって公文書から消されてしまった漢字の一つである。
これは漢字研究者の諸橋轍次が、後漢の時代の「説文解字」を紐解いて「婦人とは箒(ほうき)を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに、前出のキチガイどもが飛び付いて「女性差別」だと叫んで「婦人」を抹殺したというのが事の始まり。
その結果、「婦人警官」が「女性警察官」となり、「看護婦」が「看護師」、「女優」が男女に関係なく「俳優」と呼ばれる様になったのもこうした影響からだ。
その後、諸橋の説は全くのウソだとバレた。甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。だが、彼奴らはその間違いを認めることなく使い続けている。
因みに「看護師」の「師」というのは、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」の旁(つくり)は、軍隊で肉(食料)を分けることが原義。
普段声高に「反戦平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもがその漢字の意味も分からず、「看護婦」を「看護師」などと呼び換えて悦に入り、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用していることはマヌケで滑稽と言う他はない。呵呵。
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cordial8317 at 05:57│Comments(0)
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