「国民の期待に応えてくれるでしょう」から一転して「国民の期待を裏切る様な証言」だ。(by 辻本清美)プロ野球開幕。選手団の靖国神社参拝を熱望する!

2018年03月29日

敷島の 大和心を人問わば 朝日に匂う 山桜花(本居宣長)

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「敷島の 大和心を人問わば 朝日に匂う 山桜花」、桜花咲き匂うこの季節、日本人として生まれた悦びを自覚する一瞬でもある。

 愚生は団体は辞したが正統な右翼人だと思っている。右翼浪人とカッコ付けてはいるが、単なる無職、放蕩右翼と言った方が好いだろうか。右翼活動家を自任してはいるが、自分を愛国者だと思ったこともない(笑)

 右翼現役時代、街宣をする時も他団体の様に「我々は愛国者団体の○○であります」などではなく「自由・民族・平和を守る・防共挺身隊であります」というフレーズを好んで使っていた。

 右翼は愛国者ではない、行動によって世論に警鐘を促す単なる行為者であって、将棋でいうところの「歩」の様なものだ。その駒を扱う人によっては「と金」には成れるが精々そこまで。

「王将」になるべきはその駒を動かす思想家だろう。だがそうした思想家はおらず、右翼の先細りはこうしたことも原因である。

 困ったことに右翼人の多くは幹部になればなるほど、自分が恰も思想家や坂本龍馬にでもなったかと勘違いしてる。先生方の理論を見聞きしても所詮は先人の請け売りでしかなく、魂の籠っていない二番煎じでは心に響くものもない。

 最近の安っぽい愛国ブームも同じ様なもので日の丸を掲げただけで、或いは靖國神社に参拝しただけで愛国者や愛国心だと履き違えている。

 8月15日を「終戦記念日」だとして靖國に参集し遺族を押し退けて参道を闊歩する。だが、8月15日は終戦の勅諭が奉じられた日であって「終戦記念日」との名称はGHQによる戦後民主主義教育の洗脳の最たるものである。

 終戦の意味も理解することなく、8月15日にナンチャッテ右翼や自称愛国者らが靖國神社へ集結し、哀悼の意を表し、参拝をSNSで自慢する。

「哀悼」とか「追悼」とは、死者の生前を偲び、その死を悼み悲しむことである。靖國神社は英霊の追悼施設ではなく、英霊の顕彰を重んじている社であることを理解していないからこんな勘違いが罷り通る。

 8月15に靖國参拝することが然も愛国者として当然の様になってるが、これ正に無知と目立ちたがり屋の軽挙妄動と言わざるを得ず、そうした行動が愛国ということ自体を毀損していることに気付いていない。

 ネットでは如何にも「愛国的」な言葉に歓喜し、懐古的なフレーズを称え賛同するが、単なる営業右翼に煽られて利用されているに過ぎない。

 その結果というか反動が、所謂「ネット右翼」を始めとした愛国ブームだろうし、「日本会議」などの保守ブームなのだろう。

「国家という概念は今日、明白な内容を持っていない。だから軽薄な愛国教育しかできないのだ」とは、アドルフ・ヒトラー。

 三島由紀夫も「日本の様な国には愛国心などという言葉はそぐはないのではないか。大和魂で十分ではないか」と教える。

「大和魂(大和心)」とは、花鳥風月、山川草木、春夏秋冬の恵まれた自然に逆らわず調和して暮す従順な心であり、国学者・本居宣長が詠んだ「敷島の 大和心を人問わば 朝日に匂う 山桜花」、これに極まれり。

 愛国心というのは他人が教えて育めるものでは無い。行動の伴わない道徳教育も意味がなく、教育勅語を諳んじたところで徳目を実践しなければ空念仏と同じ。そんな偏狭な愛国心より、日本人の心の奥底に棲む大和心こそ涵養すべし。

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cordial8317 at 05:41│Comments(0)

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