「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」というが「国民の期待に応えてくれるでしょう」から一転して「国民の期待を裏切る様な証言」だ。(by 辻本清美)

2018年03月27日

民主主義の本質は国民目線に立つことではないし、大衆に媚びることでもない

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

「熱狂した大衆だけが操縦可能である」とはアドルフ・ヒトラー。一億総評論家時代と言われて久しいが、森友学園騒動はその典型。自分で考えることを放棄したマスコミに煽られた大衆が大騒ぎしている。

 マスコミは国民の安直な正義感に迎合し、上から目線で「自分達の主張こそが正義である」と居丈高に振り翳して国民を煽動し続けているが、そこに社会の木鐸としての正義や公正さはない。単なる営利主義とサラリーマン思考。

 反権力を勘違いして何でも腐すマスコミとそれに便乗する民衆。安倍首相もまたマスコミに煽られた国民の視線を気にして、それ故に身の潔白を強調しているが、これぞ正しく大衆迎合主義そのもの。

 ワイドショーに煽られた平均的意見が国民目線らしいが、その平均値が正しいとは限らない。安倍も政治の王道を目指すのであればそんな雑音を気にしてどうなるというのか。国家のリーダーは強固な意思を持つべきである。

 安倍も明恵夫人も関与していないのは明らかなのに、野党はそれを理解することなく倒閣運動に利用し、安倍も関与を否定はするが中途半端で余計に誤解を招いている。マスコミに煽られた国民の声を受け入れてどうなるというのだ。

 民主主義の本質は国民目線に立つことではないし大衆に媚びることでもない。況してや平均的な国民を創るこもではない。民主主義の根本は多数決だが、数の多い意見が正しいとも限らない。

 先の対戦前、多くの国民は朝日新聞を始めとした好戦派の主張に賛同し神州不滅を信じた。「戦争反対」などと言うものなら「非国民」と罵られ、憲兵にひっぱられ酷い目に遭わされた。戦後は朝日新聞を筆頭に多くが掌を返した。

 いつの世も大衆の多くは無知で愚かであり、大衆というのは実に操縦し易く、そういう認識故に世論操作が行われるのだが、そういう意味では国民意識というのは戦前から何も進歩もしていない。

 政治が国民目線に立った時、必ず国は滅ぶというのは世の常。何故なら、国民の判断力は古今東西常に低く、その意見も時代に流され、大衆に流され、実に幼稚で気紛れなものだからだ。

 政治とは、国家観を重んじながら、国民目線とかけ離れた歴史観、人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするものなのだ。

 書き換えた決裁文書の報告書を読めば、近畿財務局が無理難題を嗾ける籠池の不当要求を撥ね退けたという経緯が分かる。

 国会の答弁と辻褄を合わす為に余計な文言を近畿財務局が削除したということで、これを民主主義の否定とは些か本質から飛躍し過ぎだろう。

 売国マスコミの垂れ流す記事も詐欺罪で拘留中の籠池も国家国民を騙そうとする点では同列であり、こうした嘘に踊らされる国会こそが危機管理能力の欠落。正に民主主義とは衆愚政治であることを痛感する。

 こんなことで安倍政権が崩壊するとは思えないが、森友問題騒動での国会機能の麻痺に因って国益を害しているのは確かだろう。近隣情勢が緊迫する中で万が一にも国家崩壊を招く様なことがあってはならない。

※コメントは会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方はパスワードを教えますので mr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを!

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

cordial8317 at 08:30│Comments(0)

コメントする

このブログにコメントするにはログインが必要です。

「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」というが「国民の期待に応えてくれるでしょう」から一転して「国民の期待を裏切る様な証言」だ。(by 辻本清美)