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2021年03月26日

「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」というが

 愚生のブログのサブタイトルに哲学者・西晋一郎の「我が民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、君国に忠、親に孝なるは最も現実なる道徳である。之を離れては人類愛も世界的正義も空想に過ぎない」と記している。

 西は「教えるとは実に教えられることである」とも教えている。本を読んだり、為になる話を聞いたり、感じた部分を書き留め、それを実際に他人に教えることで自分に足らないものに発見したりする。その気付きが学びに繋がる。

 子育てにしても子供に学び共に成長していくもの。また、教諭が生徒に教えられることもあるだろう。「教えるとは実に教えられることである」とは正しく。

 SNSなどでもアップした記事へ反論や批判に応じることで、新たな発見や理論の形成と自分自身の向上にも繋がるということも少なくなく、意見の対立しがちなSNSと雖も、持ちつ持たれつの関係が成り立っている。

「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」という。だが、分からないからと直ぐに「分かりません」とか「分からない」を連発するヤツというのは、説明してやるとその場では頷くが実際には全く理解出来ていない場合が多く時間の無駄となる。

 説明を聞く側も自分で調べた上で「分からない」ことを聞けば好いが、その基本的なことさえも備わっていないのに安易に聞いてくるのは余り感心しない。

 後輩や門下生にもいるが、こっちが話しているのに「分からない」と話の鼻を折るから先に進めない。その場で説明してやっても愛想よく返事するばかりで碌々理解していない。分からないならメモを取り、後で自分で調べれば好いこと。

「分からない」とは稚児だけに許された言葉であって、本来は大人が使う言葉ではないのだが、今では恥ずかしくもなく「ワカンナイ」を連発している。

「三つ心、六つしつけ、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる」という金言がある。先達はこうした養育法を実践した。昔の寺子屋は三歳入学。それまでに親は愛情を注ぎつつ、心を自覚させることに重点を置いて育てることを意識した。

 六歳くらいになると善悪の判断を知る年齢になる。そこで「躾」というのが必要となって来る。躾とは「仕付け」とも書くが、着物を縫う時に仮縫いが大事な様に、幼少期の躾という仮縫いは親として最も大事な務めでもある。

 九歳までには言葉や挨拶の重要さを教え、十二歳になる頃には文章も書ける様にならなくてはならない。十五歳になれば昔の元服であり、立派な大人の仲間入り。

 そこで「理(ことわり)」を理解しなくてはならない。「理」とは道理であり、条理であり、つまりは当たり前な事であり、生きて行く上での常識である。

 我が国は性善説で成り立っているが、それは三歳頃までの親からの愛情や幼少期の躾、学校での学習と社会全体での「理」を教える環境が整っていなければならないのが大前提。そう考えれば現代の日本人に性善説など通用するとは思えない。

 将来を担う子供達を育むには「親」と「学校」と「社会(地域)」の三つのどれが欠けても好ましくはない。この三つのバランスが大事なのである。

 昨今は親が躾を放棄し、教諭が厳しくすれば「体罰だ」と大騒ぎ。会社の上司や同僚にも恵まれず、社長は社稷を重んじることなく金儲けに狂奔するばかり。

 そういう意味では親からも学校からも社会からも厳しく育てられて来なかった現代の若者というのは現代社会教育の犠牲者と言えなくもない。

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