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2018年02月20日

古い日本語が差別用語として規制されてるのは逆差別にも感じてしまう

 田村正和主演の「眠狂四郎」を観た。中々見応えのある内容だったが、眠狂四郎は今は亡き市川雷蔵のあのドSぶりが好きだ。昔の日本映画や落語などには、盲(めくら)、唖(おし)、吃(ども)り、跛(びっこ)、聾(つんぼ)などの放送禁止用語がバンバン飛び交ってて実に面白く、台詞そのものが実に興味深い。

 古い映画や古典落語には差別用語だけではなく、懐かしくも美しい日本語が処処に溢れていて、日本の原風景が浮かんできそうだ。こうしたことを気にしながら、観たり聴いたりすることこそ生きた耳学問であり、実践した教育でもある。

「憚(はばか)り様でした」(ご苦労様です。恐れ入ります)
「傍杖(そばづえ)を食う」(思わぬ災難に遭う)
「荷が勝つ」(責任・負担が重過ぎる)
「武士は相身互い」(同じ立場の者は助け合うべし)
「罪業の深さ」(罪の原因となる行為)
「浮世に拗(す)ねる」(世の中に逆らう)
「卒爾(そつじ)ながら」(人に声をかける時に言う語)

 その他にも「阿漕(あこぎ)な奴」「お為倒し(おためごかし)」「朝未(ま)だき」「足元から鳥が立つ」など、現代では余り馴染みのない言葉や台詞のオンパレード。映画や落語は娯楽や趣味だから、こうした難解な言葉を四六時中考え、気にしている観ている訳ではないが、それはそれで楽しいもの。

「四六時中」という言葉も昔は「二六時中」と言ってたそうだ。一日を十二刻で数えていた時代には「二六時中」だったが、二十四時間になって「四六時中」に変わったというから面白い。言葉は時代と共に移ろうものだが、時代時代でどういう風に使っているのかを知れば、また違った世界観を知ることが出来るというもの。

 外国語に比べ日本語というのは実に素晴らしい。現代の思想家でもある新崎智こと呉智英(くれ ともふさ、ご・ちえい)は、「差別は正しい、差別と闘うのが正しいのと同じぐらい正しい。人類が目指すべきは『差別もある明るい社会』である。差別さえない暗黒社会にしてはならない」と逆説的に述べている。

 哲学的ではあるが実に示唆に富んでいる。くだらない倫理観やキレイゴトに因って、古い日本語が差別用語として規制されてるのは逆差別にも感じてしまう。

 保守陣営などからは、「教育勅語」を道徳教育の指導原理と成し、また戦前の「修身」復活の声も聞こえる。だがどうだろう。修身では、例えば「おたけがめくらのてをひいて」と、幼少のおたけの障碍者への労りや優しさを教えている。

 だが「めくら」は現代では差別用語でもあり、放送禁止用語でもある。これを現代風に「視覚障碍者の手を引いて横断歩道を渡りました」などと表したとしても、真意は伝わらない気がする。放送禁止用語や差別用語は撤廃させるのが先決だ。

 差別用語が羅列されてる「修身」の復活は、現代の教育に使うことは不可能に近い。「差別用語を使用しなければ良いだろう」というが、眠狂四郎や他の時代劇のリメイク版の様にリアル感が無くなり、相手(子供や学生)の心にに響くものが無ければ実践することもなく、実践の伴わない修身や道徳教育なんぞに意味は無い。

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cordial8317 at 08:26│Comments(0)

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