「喪中につき年末年始の挨拶はご辞退させて頂きます」という慣習「新元号」省庁の御都合主義から4月1日に発表

2019年01月02日

天皇にとって最も大事な祭事の簡略化が謀られている

 平成31年を迎へ恭しく聖寿の万歳を寿ぎ奉り、愈々肇国の精神を顕揚し、以て皇紀2679年を光輝ある年たらしめんことを堅く御誓い申す。

 畏くも陛下の一年は「四方拝」で始まる。年初の未明から、陛下は潔斎し、古式に則った黄櫨染御袍の装束を身に纏い、伊勢神宮や陵墓、四方の神々に拝し、国の安寧や豊作を祈る。これこそが歴代天皇が行ってきた秘儀である。

 近年は陛下の負担軽減を理由に黄櫨染御袍正装ではなく、元旦の新年祝賀の儀を優先してモーニングを着ての拝礼で済まし、年始の祭典である「歳旦祭」もまた同じ負担軽減という理由から掌典職が代拝している。

 これは、天皇にとって最も大事な祭事は現憲法下で天皇の私事とされてしまい、元旦に行われる「新年祝賀の儀」が憲法で規定されている「国事行為」である為にそれを最優先しているからに他ならない。

 負担軽減とは単なる屁理屈に過ぎないのだが、あろうことか、陛下の高齢を理由に祭事の簡素化が謀られ、不敬極まる退位法案が可決されてしまった。

 正月三日には、国と国民の繁栄を祈る「元始祭」、四日は「奏事始め」、七日は「昭和天皇祭」など、宮中祭祀は年に二十件前後斎行されるが、現在は代拝や短縮など更なる簡略化が謀られている。

 11月23日は、その年に収穫した穀物を神嘉殿に供え神に感謝する「新嘗祭」が行われるが、新嘗祭は四方拝に並び宮中祭祀でも最も重要な祭事である。

 新嘗祭当日午後6時「夕(よい)の儀」に始まり、午後11時からは「暁の儀」が斎行されるのだが、平成24年からはこれも負担軽減を理由に中止されている。

「暁の儀」の取り止めは、皇極元年(642年)より受け継いできた祭祀に今後何らかの結果と影響を齎すのは明らか。天皇にとって大事なものは国事行為に非ず「祭事」であり、国事行為より優先されるべきものでなくてはならないのだ。

 陛下の負担軽減とは聞こえはいいが、こうした祭事の簡素化を実行した宮内庁は正に獅子身中の虫であり、皇統断絶を謀る国賊と断じて好かろう。

 歴代天皇が司ってきた祭事を最優先し、国事行為や公的行為こそ軽減すべきであり、陛下の負担軽減というのであれば、祭事は本より、国事行為や公的行事も皇太子殿下や秋篠宮親王殿下が輔佐する環境こそ整えるべきであった。

 だが、あろうことか安倍亡国内閣は皇室典範に退位を附帯して実質的な皇室典範の改悪を謀り、畏れ多くも陛下の譲位を強行した。

「女性宮家」の創設議論に見られる様に、平成の御世で宮内庁や共産主義者、無自覚左翼によって過去に例のない高等断絶が謀られていることに危機感を抱いている保守派や愛国者というのは限りなく少ない。

 以前、高松宮寛仁親王殿下が「国民一人一人が、我が国を形成する『民草』の一員として、2665年(当時)歴史と伝統に対しきちんと意見を持ち発言をして戴かなければ、いつの日か『天皇』はいらないという議論にまで発展するでしょう」と憂いていたが、正に「開かれた皇室」の名の下に陛下の尊厳が軽んじられ、天皇廃止運動は着々と進められている。

 確かに天皇には憲法遵守の規定はあるが、余りにも憲法に拘り過ぎてはいまいか。賢くも天皇は憲法以前の御存在であらされる。

 現憲法は歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定し、天皇の「国事行為」のみで「公的行為」は明文化されていない。

 神武肇国から続く万世一系の皇統が、平成の世を境に崩れて行くのを我ら臣民が拱手傍観してる訳には参らない。

 皇統断絶を謀ってる元凶は獅子身中の虫である宮内庁か、それとも皇統を軽んじる安倍晋三なのか。剔抉粛正せねばならない。

※コメントは会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方はパスワードを教えますので mr.cordial@live.jpへ御気軽に!

cordial8317 at 07:10│Comments(0)

コメントする

このブログにコメントするにはログインが必要です。

「喪中につき年末年始の挨拶はご辞退させて頂きます」という慣習「新元号」省庁の御都合主義から4月1日に発表