時に元禄十五年十二月十四日、江戸の夜風をふるわせて響くは山鹿流儀の陣太鼓・・・「進め社」や「日本労農党」代表・福田狂二の「狂」とは陽明学の「狂」

2020年12月15日

「喪中につき年末年始の挨拶はご辞退させて頂きます」というが

 年末になると喪中葉書が届き、「喪中につき年頭の挨拶はご辞退させて頂きます」だとか、「喪中なので初詣には行かない」いう様な声を聞く。こうしたことも古くからの習慣であり、大した意味はなく受け継がれている。

「初詣」も、神道ならば50日を過ぎていれば問題はない。仏教でも浄土真宗などは「死」は「穢(ケガ)れ」ではなく、故人を阿弥陀如来の智慧の光明に縁り極楽浄土へと導くという真理であるという教なのだから別に問題はない。

 日本人というのは天皇陛下の御生誕を祝わないのにキリスト誕生を祝い、大晦日には除夜の鐘を撞き、初詣には神社に参拝する。結婚式を教会や神社で挙げ、葬式は仏教と実に好い加減な民族ともいえるが、何故か「喪中葉書」だけはマメ(笑)

 先祖の宗派も分からず、神仏などを軽んじていながら身内の死に対してだけは信心深くなる。「喪中」という言葉にしても都合好く利用してるとしか思えない。

 近親者が亡くなった場合、一定の期間はその死を悼み、身を慎むことを「忌服」、或いは「服喪」という。 古くは、門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず、音曲をなさず、嫁取りをせず、財を分かたずという仕来りがあった。

 今日では、それらの一部分が慣例として受け継がれているだけ。 ここまで喪に服することはないし、そこまでした人を見たことも聞いたこともない。一週間も仕事を休んだものなら「もう、君は会社に来なくてイイよ」と誹られるだろう。

 日本での喪中の規定に関する法律は、奈良時代の「養老律令」が出された頃には既に見られ、江戸時代になると「服忌令」という法律に喪中の規定が記された。これらの法令に由ると父母の喪は12ヶ月~13ヶ月であると制定されている。

 明治7年に出された太政官布告「忌服令」では、「父母、夫、50日、13ヶ月。妻、兄弟姉妹、20日、90日」などと「忌(忌中)」と「服(喪中)」の期間をこと細かく定めている。 この法令は昭和22年に廃止されている。

「忌」と「服」は、謹慎度の深さによって分けられるが、大まかには「忌」は自宅に謹慎する期間で、法要(四十九日)が終わる期間をいう。「服」は、喪服を着用する期間で、死者を偲ぶ期間と考えて好いだろう。

「忌中」とは、神道の「穢れである死を忌む期間」という考え方から、忌中時(五十日)は「出仕(仕事)を控え、殺生をせず、髭や髪を剃らず、神社に参拝しない」としている。 浄土真宗では死は穢れで無いので忌中は意味を成さない。

 現在ではこうした法令は全て撤廃され、仏事の慣例としては今もこの太政官布告が一つの目安にされていて、喩えば父母の死亡に際しては七七忌(四十九日)までが忌中、一周忌(一年間)までが喪中とされることが多いが、今では意味を成さない。

「喪」とは、儒教から生じているもので、父母の死については13ヶ月間喪に服するということになっている。昔は「0」という観念がないので、その月が終われば1ヶ月と数え、翌月は2ヶ月目になる。二年目の法要が三回忌となるのと同じ。

 服喪期間という個人の故人への思いはそれはそれで好い。「喪中葉書」も信心深さの表れなのだろうが、実際に喪に服している訳でもないのに変な風習だ。

 年賀状のやり取りにしても、喪中の相手を気遣うという意味では年賀状を送るというのは思慮不足なのかも知れないが、悪気が在って送る訳でもないだろう。年末年始の挨拶如き亡くなった人まで巻き込んで一喜一憂などする必要はない。

 尤も「喪中だから」と門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず、音曲を成さず、嫁取りをせず、財を分かたず、出仕(仕事)を控え、殺生をせず、髭や髪を剃らずと自らを厳しく律している方なら別だが、そんな人は見たことも無い(笑)

 仏教徒の多くは、死んで戒名さえ貰えば極楽浄土に往けると思ってるが、戒名を頂くということは釈迦牟尼の弟子になるということ。要は、仏教徒というのは生きている間も、死んでからも修行は続くのだ。ホント、御苦労様です。呵呵。

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