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2017年12月06日

今、孝行を尽くさなければ後悔しても間に合わない(中江藤樹)

 徳川幕府は儒教の「朱子学」を盛んにしたが、朱子学が形式や礼儀を重んじたのに対し、明の学者・王陽明が唱えた「陽明学」は心の持ち方を大切にする教えであり、日本最初の陽明学者は画像の中江藤樹である。

 陽明学は主体的実践を重視した新儒教と言われるもので、「心即理」「致良知」「知行合一」「無善無悪」などを主要な学説としている。

 王陽明は若い頃は生活もだらしなく、無頼の徒で、仁侠道にも溺れたり、武道に凝り過ぎたり、詩や仏法に惑溺したりしたという。終いに儒教に辿り着き、独自の学派を拓く。

「知識」は「行動」と一つであるという心理は、人を狂人にし、常に人を行動へと駆り立てる。この陽明学でいう「狂」とは、単に「狂った」という意味ではなく、陽明学の教える「理想を高く持ち、何の虚飾も隠し立てもなく、心のままに率直に行動すること」である。

 幕末の英雄・河井継之助にしろ、三島由紀夫にしろ、陽明学を重んじている人物というのは生き様は共通してどことなく破天荒でもある。

 河井継之助が、当時流行していた衒学臭げな尊皇の徒輩とどこか違うのは、陽明学の「実践的理想主義」故のものだったからではなかろうか。

 行動する上で大事なのは、時代を見つめる「冷静な目」であり、この時代を見抜く俯瞰した目と「狂」の精神こそが、明治維新への道と切り開く転換点となったと言っても過言ではない。

 中江藤樹は母親を養う為に「今、孝行を尽くさなければ後悔しても間に合わない」と武士を辞め故郷へ帰る。

 武士の魂と言われた刀を売り、生活資金を作り、貧しいながら老母に仕え、そして村人に学問を教えた。噂を聞いて遠近から藤樹の人柄を慕って来る者は絶えなかったという。

 講義を受けていた中の一人の馬方が、客が馬の鞍に結びつけたまま忘れた二百両入りの財布を、藤樹は八里も離れた宿場まで届けるも礼金を享けなかったという。偶々この評判を聞いたのが、熊沢蕃山だった。

「貴男の様な立派な御武家にお教えする様な学も徳もない」と、藤樹は師となることを固く断るも、蕃山は門前に二日間座り込み、漸く入門が叶った。

 後に蕃山は岡山藩主・池田光政に仕えることとなり、藤樹から教わった学問を政治の上に大きく活かした。「大学惑問(だいがくわくもん)」で政治を批判、幕府に咎められ禁錮中に病死した。

 41歳の若さで没した藤樹だったが、多くの門人に熱心に、真面目に、丁寧に教えた故に、今なお「近江聖人」と讃えられ尊敬され続けている。

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cordial8317 at 07:15│Comments(0)

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