2023年08月17日
8月15日の「終戦記念日」という呼称を改めなければならない
8月15日を「終戦記念日」と呼ぶのに違和感を覚える。その後も戦争は続いていたし、何故に終戦なのか。15日は「戦没者を追悼し、平和を祈念する日」であるなら、「平和祈念日」とか「戦没者追悼の日」と呼ぶべきなのではないだろうか。
国家の為に尊い命を投げ出された英霊に感謝の誠を捧げることは、今を生きる我々の務めであり義務でもあるが、8月15日に靖國神社の英霊のみに拘ることは、戦火で斃れた一般の方々の死を軽んじている気がしてならない。そう考えればやはり、「終戦の日」ではなく、「戦没者追悼の日」の呼称の方が相応しいと思う。
政治家や保守派らが靖國神社に参じて英霊の死を悼む。だが、靖國神社は英霊の功績を顕彰する社であり、死を悼む施設ではない。戦前は護国の英霊に感謝し崇敬の誠を捧げて来た。殊に特筆すべきは、靖國神社の大祭に限り天皇陛下が御親拝せられた。聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄は、之に優るものは無し。
自称愛国者や営業保守派らは総理大臣の参拝を熱望し、「何故に参拝しないのか」「中韓に遠慮する必要はない」との疑問を投げかける。中韓に遠慮する必要はないが、愚生からすれば「何故に8月15日なのか」という疑問しか浮かばない。
現在の平和や繁栄が戦没者の犠牲の上で成り立っているということは承知だが、犠牲となられたのは、戦陣に散り靖國神社に祀られている英霊の方々だけではない。
原爆投下や全国への空襲、暴行や陵虐などに因って亡くなられた方々も多く、保守派が靖國神社のみに拘れば拘るほど、違和感を持つ国民がいても不思議ではない。
政治家にしろ、保守派や自称・愛国勢力にしろ、軍事オタクにしても、或いはキチガイ共の「反天連」にしろ、8月15日の靖國を単に利用し弄んでいるだけだ。
総理大臣は靖國神社で斎行される春秋の例大祭に参拝するのが恒例だった。ところが、容共の三木武夫が例大祭ではなく8月15日に私的参拝する。だが、三木の前首相の田中角栄も、三木の後の福田赳夫も大平正芳も例大祭に参拝している。
三木が8月15日に参拝し、似非保守である中曽根康弘が公式参拝したことで靖國神社が政治問題化されて行き、その結果として、それまで続いていた歴代総理大臣の参拝までもが中止になったという経緯に刮目して理解しなければならない。
中韓からの抗議に屈するなというのは心情的には理解するが、その対抗手段として靖國神社を政治利用するのは如何なものか。政治家の靖國参拝なんぞはっきりいってどうでも好い。陛下の御親拝を実現させ英霊の御霊を鎮めることこと肝要である。
靖國神社の建立の趣旨を理会すれば英霊への追悼や鎮魂ではなく、国家に殉じた英霊の功績を未来永劫に亘り顕彰することに重きを置かなければならない。
左翼どころか右翼陣営も今や自虐史観に侵されていることすら自覚していない。自覚していない故に8月15日を「終戦記念日」として靖國神社に赴く。熟熟、自虐史観、戦後民主主義教育の象徴でもある「終戦記念日」という呼称を改めなければならないと痛感する。以前、この問題を地元紙に投稿した。原文は次の通り。
〈今年も8月15日がやってくる。一般には「終戦記念日」と呼ばれているが、正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」。玉音放送により、日本の降伏が国民に公表された日である。常々、終戦記念日より「平和祈念日」と言った方が好いのではと思っている。8月15日には、「国民一人一人が夫夫の場所において戦没者を偲び、心から黙祷を捧げる」ことが大事で、何も靖国神社や護国神社に出向くことが戦没者を追悼することではない。現在の平和や繁栄が戦没者の犠牲の上で成り立っているということは承知している。だが、先の戦争で犠牲となられたのは、戦陣に散り靖國神社に祀られている英霊の方々だけではない。広島・長崎の原爆投下や全国各地への空襲などによって亡くなられた方々も多く、保守派が「終戦記念日」に靖国神社に拘れば拘るほど、平和を祈念するという趣旨から離れて行く気がしてならない。〉
天皇陛下の御親拝こそが英霊の御魂を鎮める唯一無二のものであり、今上陛下に於かれましては、靖國神社に関する雑音を排し、御親拝遊ばされることを冀う。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
国家の為に尊い命を投げ出された英霊に感謝の誠を捧げることは、今を生きる我々の務めであり義務でもあるが、8月15日に靖國神社の英霊のみに拘ることは、戦火で斃れた一般の方々の死を軽んじている気がしてならない。そう考えればやはり、「終戦の日」ではなく、「戦没者追悼の日」の呼称の方が相応しいと思う。
政治家や保守派らが靖國神社に参じて英霊の死を悼む。だが、靖國神社は英霊の功績を顕彰する社であり、死を悼む施設ではない。戦前は護国の英霊に感謝し崇敬の誠を捧げて来た。殊に特筆すべきは、靖國神社の大祭に限り天皇陛下が御親拝せられた。聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄は、之に優るものは無し。
自称愛国者や営業保守派らは総理大臣の参拝を熱望し、「何故に参拝しないのか」「中韓に遠慮する必要はない」との疑問を投げかける。中韓に遠慮する必要はないが、愚生からすれば「何故に8月15日なのか」という疑問しか浮かばない。
現在の平和や繁栄が戦没者の犠牲の上で成り立っているということは承知だが、犠牲となられたのは、戦陣に散り靖國神社に祀られている英霊の方々だけではない。
原爆投下や全国への空襲、暴行や陵虐などに因って亡くなられた方々も多く、保守派が靖國神社のみに拘れば拘るほど、違和感を持つ国民がいても不思議ではない。
政治家にしろ、保守派や自称・愛国勢力にしろ、軍事オタクにしても、或いはキチガイ共の「反天連」にしろ、8月15日の靖國を単に利用し弄んでいるだけだ。
総理大臣は靖國神社で斎行される春秋の例大祭に参拝するのが恒例だった。ところが、容共の三木武夫が例大祭ではなく8月15日に私的参拝する。だが、三木の前首相の田中角栄も、三木の後の福田赳夫も大平正芳も例大祭に参拝している。
三木が8月15日に参拝し、似非保守である中曽根康弘が公式参拝したことで靖國神社が政治問題化されて行き、その結果として、それまで続いていた歴代総理大臣の参拝までもが中止になったという経緯に刮目して理解しなければならない。
中韓からの抗議に屈するなというのは心情的には理解するが、その対抗手段として靖國神社を政治利用するのは如何なものか。政治家の靖國参拝なんぞはっきりいってどうでも好い。陛下の御親拝を実現させ英霊の御霊を鎮めることこと肝要である。
靖國神社の建立の趣旨を理会すれば英霊への追悼や鎮魂ではなく、国家に殉じた英霊の功績を未来永劫に亘り顕彰することに重きを置かなければならない。
左翼どころか右翼陣営も今や自虐史観に侵されていることすら自覚していない。自覚していない故に8月15日を「終戦記念日」として靖國神社に赴く。熟熟、自虐史観、戦後民主主義教育の象徴でもある「終戦記念日」という呼称を改めなければならないと痛感する。以前、この問題を地元紙に投稿した。原文は次の通り。
〈今年も8月15日がやってくる。一般には「終戦記念日」と呼ばれているが、正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」。玉音放送により、日本の降伏が国民に公表された日である。常々、終戦記念日より「平和祈念日」と言った方が好いのではと思っている。8月15日には、「国民一人一人が夫夫の場所において戦没者を偲び、心から黙祷を捧げる」ことが大事で、何も靖国神社や護国神社に出向くことが戦没者を追悼することではない。現在の平和や繁栄が戦没者の犠牲の上で成り立っているということは承知している。だが、先の戦争で犠牲となられたのは、戦陣に散り靖國神社に祀られている英霊の方々だけではない。広島・長崎の原爆投下や全国各地への空襲などによって亡くなられた方々も多く、保守派が「終戦記念日」に靖国神社に拘れば拘るほど、平和を祈念するという趣旨から離れて行く気がしてならない。〉
天皇陛下の御親拝こそが英霊の御魂を鎮める唯一無二のものであり、今上陛下に於かれましては、靖國神社に関する雑音を排し、御親拝遊ばされることを冀う。
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cordial8317 at 05:57│Comments(0)
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