2023年08月15日
終戦記念日とは「戦争が終わってめでたしめでたし」ということだろう(苦笑)
日本人の殆どが疑いもなく、8月15日を「終戦記念日」だと思っているが、これ正にGHQに因る洗脳であり、戦後民主主義教育の象徴と言えるものでもある。
要するに、「(米軍のお陰で)戦争が終わってホントめでたし、めでたし」ということなのだろう。「記念」とは思い出という意味であり、何故に戦争終結を記念しなきゃならないのか。「終戦記念日」とは日本人の使う言葉とは思えない(苦笑)
抑々、昭和天皇の御聖断に拠り、ポツダム宣言受諾が決定されたのが昭和20年8月14日であり、8月15日は終戦の詔勅(玉音放送)が渙発された日である。
日本政府がポツダム宣言受諾に由り、降伏文書に調印した日は9月2日であり、連合国やロシアはその翌日3日を「対日戦勝記念日」として祝賀行事を開催する。
我が国が最終的に戦争状態を終結し、主権回復したのは昭和27年4月28日であり、「終戦記念日」なら4月28日が相応しい。8月15日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であり、敢えて言うのならば「平和祈念日」と呼称するべきだ。
今日は右翼の先生らも靖國神社へ集結し英霊の方々だけに哀悼の意を表する。「哀悼」とか「追悼」とは、死者の生前を偲び、その死を悼み悲しむことである。
靖國神社は追悼の施設ではなく、英霊の顕彰を重んじている社であることを理解していないからこんなことが罷り通る。靖國参拝が然も愛国者として当然の様になってるが、これ正に無知と目立ちたがりからの軽挙妄動と言わざるを得ない。
自称愛国者や営業保守派らは頻りに8月15日の総理大臣の参拝を熱望するが、これもまた無知からのもの。歴代の総理大臣は、8月15日ではなく、春秋に斎行される例大祭に参拝するのが恒例だった。何故に8月15日に拘る様になってしまったのか。
8月15日に靖國神社に「私人」として参拝したのは容共派の三木武夫が最初だった。未だに続く「公人か私人か」の論争は、この三木の参拝がきっかけである。
その後、中曽根康弘が「公式参拝」し、中共からの抗議で外交問題に発展し、恒例だった春秋の例大祭への参拝までも出来なくなってしまった。そして平成13年、自民党総裁選に出馬した小泉純一郎は保守票欲しさに「如何なる反対があろうとも8月15日に靖國神社へ参拝する」と発言。この言葉は多くの国民を喜ばせた。
結果は靖國を政治利用し、混乱を招いただけだった。8月15日という日は、「国民一人一人が夫夫の場所において戦没者を偲び、心から黙祷を捧げる」ことが大事で、何も靖國神社に参拝し、護国神社に出向くことが立派なことではない。
平和や繁栄が戦没者の犠牲の上で成り立っているということは当然のこと。先の戦争で犠牲となられたのは、戦陣に散り靖國神社に祀られている英霊の方々だけではない。原爆投下や全国への空襲、暴行や陵虐などで亡くなられた方々も多い。
所謂「終戦記念日」に、保守派や自称・愛国者、右翼団体が靖國神社のみに拘れば拘るほど、そうした風潮に違和感を持つ国民が増えても不思議ではない。
8月15日は遺族にとって大切な日であり、遺族を押し退けて靖國神社の参道を伸し歩く右翼は、教育勅語に示された「恭倹己を持し」の意味を到底理会しているとも思えない。これ正に贔屓の引き倒し。こうした行為が陛下の御親拝をも阻害する。
本日「戦没者を追悼し、平和を祈念する日」に当たり、先の大戦に於いて祖国と子孫の存命を願いつつ異国の地で戦陣に散り、職場に殉じ、戦災に斃れた方々並びに北の島々に眠る同胞の御霊に対し、衷心より哀悼の意を表します。天皇陛下万歳。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
要するに、「(米軍のお陰で)戦争が終わってホントめでたし、めでたし」ということなのだろう。「記念」とは思い出という意味であり、何故に戦争終結を記念しなきゃならないのか。「終戦記念日」とは日本人の使う言葉とは思えない(苦笑)
抑々、昭和天皇の御聖断に拠り、ポツダム宣言受諾が決定されたのが昭和20年8月14日であり、8月15日は終戦の詔勅(玉音放送)が渙発された日である。
日本政府がポツダム宣言受諾に由り、降伏文書に調印した日は9月2日であり、連合国やロシアはその翌日3日を「対日戦勝記念日」として祝賀行事を開催する。
我が国が最終的に戦争状態を終結し、主権回復したのは昭和27年4月28日であり、「終戦記念日」なら4月28日が相応しい。8月15日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であり、敢えて言うのならば「平和祈念日」と呼称するべきだ。
今日は右翼の先生らも靖國神社へ集結し英霊の方々だけに哀悼の意を表する。「哀悼」とか「追悼」とは、死者の生前を偲び、その死を悼み悲しむことである。
靖國神社は追悼の施設ではなく、英霊の顕彰を重んじている社であることを理解していないからこんなことが罷り通る。靖國参拝が然も愛国者として当然の様になってるが、これ正に無知と目立ちたがりからの軽挙妄動と言わざるを得ない。
自称愛国者や営業保守派らは頻りに8月15日の総理大臣の参拝を熱望するが、これもまた無知からのもの。歴代の総理大臣は、8月15日ではなく、春秋に斎行される例大祭に参拝するのが恒例だった。何故に8月15日に拘る様になってしまったのか。
8月15日に靖國神社に「私人」として参拝したのは容共派の三木武夫が最初だった。未だに続く「公人か私人か」の論争は、この三木の参拝がきっかけである。
その後、中曽根康弘が「公式参拝」し、中共からの抗議で外交問題に発展し、恒例だった春秋の例大祭への参拝までも出来なくなってしまった。そして平成13年、自民党総裁選に出馬した小泉純一郎は保守票欲しさに「如何なる反対があろうとも8月15日に靖國神社へ参拝する」と発言。この言葉は多くの国民を喜ばせた。
結果は靖國を政治利用し、混乱を招いただけだった。8月15日という日は、「国民一人一人が夫夫の場所において戦没者を偲び、心から黙祷を捧げる」ことが大事で、何も靖國神社に参拝し、護国神社に出向くことが立派なことではない。
平和や繁栄が戦没者の犠牲の上で成り立っているということは当然のこと。先の戦争で犠牲となられたのは、戦陣に散り靖國神社に祀られている英霊の方々だけではない。原爆投下や全国への空襲、暴行や陵虐などで亡くなられた方々も多い。
所謂「終戦記念日」に、保守派や自称・愛国者、右翼団体が靖國神社のみに拘れば拘るほど、そうした風潮に違和感を持つ国民が増えても不思議ではない。
8月15日は遺族にとって大切な日であり、遺族を押し退けて靖國神社の参道を伸し歩く右翼は、教育勅語に示された「恭倹己を持し」の意味を到底理会しているとも思えない。これ正に贔屓の引き倒し。こうした行為が陛下の御親拝をも阻害する。
本日「戦没者を追悼し、平和を祈念する日」に当たり、先の大戦に於いて祖国と子孫の存命を願いつつ異国の地で戦陣に散り、職場に殉じ、戦災に斃れた方々並びに北の島々に眠る同胞の御霊に対し、衷心より哀悼の意を表します。天皇陛下万歳。
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cordial8317 at 05:13│Comments(0)
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