「体育の日」が東京オリンピックに合わせて「スポーツの日」に変更されたが「敗戦は必定なれど三春に倣うべからず」(二本松藩家老・丹羽一学)

2021年07月26日

君子は独りを慎むというが愚生の場合「小人閑居して不善を成す」か(笑)

 インチキ宗教や拝み屋でも信者がいるのに、正統右翼浪人を自任する愚生の支援者は年々減る一方。要は「強烈な努力」と、何より維新者としての「本気さ」が足らないのだろう。連絡が来たと思えばボランテイア的な困り事相談ばっか。

 愚生の性格上、困り事や相談事を聞くと報酬なんぞより、その相手側の卑怯さや狡さが我慢出来ず自分事の様に感じてしまうのが長所であるが悪い癖でもある。

 まあ、相手も困ってるのは分かるが、専門家(プロ)にタダで頼む神経が分からない。「タダより高い物はない」というが、依頼する方もタダでやってやると感謝する気持ちが薄れるのは確か。本当に困ってるのは愚生の方なのになぁ(笑)

 ブログも4つやってるが最近はどうもヤル気が失せている。政治批評のブログも毎日同じ様な事を綴っているが、タダで読めるからアップされるのが当たり前の様に感じてる節がある。因みに「当たり前」の反対語が「有り難い」である。

 身近な者や身近に存在する人の意見というのは、いつも聞けるということもあって中々耳に入ることはない。「近くの坊さんえらくない」とか「遠きは花の香、近きは糞(クソ)の香」という喩えがあるが、それに近い気がするな(笑)

 例えば、近所の神社仏閣というのは身近過ぎて、当たり前に存在してるから有難く感じないもの。それと同じで、身近な人からの意見や苦言は疎んじられたり軽んじられるが、その軽んじられてる意見が正論だったり事実だったりするものだ。

 こうしたことを分かり易く喩えるなら、キリストは愛を説いて十字架に架けられた。日蓮は道を説いて流罪に遭った。政治家もまた偉いヤツほど殺されている。

 古来、真理を説き、道理を訴えた者は世の中に受け容れられることはなく、偉人といわれる多くはバカかキチガイ扱いされた上に、罰せられるか殺されている。

 ガリレオ・ガリレイもそう。「天動説」が当り前だった時代に「地球が太陽の周りを廻ってる」などとはキチガイの戯言だった。結果「地動説」を唱えたガリレオは世を誑かす者だとして宗教裁判にかけられた。これが当時の大勢であり正論だった。

 現代でも、当たり前だとか正論だと思っていることはマスコミに因って創られてるものばかり。正しいことというのは、いつの世も後になって気付くもの。後の世には、間違いや非常識とされ批難されることも無きにしも非ず。

 目先の事しか考えないそんな時代に、必死に「これが正しい」と吠えたところで理解してくれないのは当然のこと。何しろ世の中にはバカの方が多いのだから、どうしてもそういう結果になってしまうのは自明の理でもある。

 今のあやふやな世の中に於いて、「あの人は良い人だ」とか「あのことは正しい」などというのは、古来に学べば大半は間違っていると思った方が好い(笑)

 大勢というのはいつの世も一部の扇動者に因って創られるもので、単に平均的意見に過ぎないのだ。「オレは良い人間だ」とか「善人だ」と周りに吹聴してるヤツに限って、その裏では何をやってるか分かったものではない。

 そんな紳士面した地元の名士の裏の顔を暴いてるのが、拙ブログ「汚れた顔の紳士達」だ。政治批評の数倍の閲覧者はいるが、未だに支援者どころか会費さえも払わずタダ読みしてる連中ばっかで、コピーして配ってる輩もいるのには厭きれる。

 愚生の経験上、笑顔を浮かべてるヤツ、愛想好く振る舞ってるヤツというのは意外と性格が悪いのが多く、単に調子がイイだけに過ぎない。「笑うと目が無くなるヤツは信用するな!」という訓えがあるが、強ち間違いではない。

 作られた笑顔の裏の顔というのは実に醜いもので、自分を誤魔化そうとしているに過ぎず、逆にブスっと無表情のヤツの方が案外信頼出来るものだ。「剛毅朴訥は仁に近し」とは正しく。その逆が「巧言令色鮮し仁」である。

 返事もそう。何でもかんでも「ハイ、分かりました」なんていうヤツは実は意外と聞いていない。此方が話をしてる最中に、此方の目をじっと目を見ているヤツもダメだ。そういうのは相手側に自分の気持ちを悟られまいとしてるだけ。

 話を聞きながらも、時々目を伏せ要点をメモしたり、同意した内容があれば視線を上げ、此方の目を合わせ相槌を打つ様な人物なら使い物になるだろう。 

 何事も、信用し過ぎず、違う角度から穿った見方をすることも必要なことでもある。何故なら、現在の常識や多くの意見というのは、マスコミや或いは戦後に創られた米国の価値観だったり。大事なのは、常に人を見抜く眼力を養うこと。

 愚生にしても、同じ様な薀蓄や能書きを連日綴ってると、有難みも薄れ、軽んじられてしまうのも当たり前といえば当たり前っちゃ当たり前だわな。

 右翼の本分とは、日本の純粋性を曇らすもの、それは「共産主義」であろうが「資本主義」「民主主義」であろうが、我が国の国柄や国體を損ねる主義思想に断固として対峙する覚悟であるが、愈々その覚悟も慢性的不如意で挫けそうにもなる。

 四書の一つ「大学」に「君子必慎其独也 小人閑居為不善」という教えがある。君子は独りでいる時に必ず慎み深くするが、小人は他人の目がないと悪い事をするとの意味。小人の愚生は日々を持て余し好からぬことを考える日々が続く。呵呵。

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