いつも乍ら「ご冥福」という言葉の氾濫には違和感を覚えるなぁ「海軍記念日」の5月27日という日は様々な想いが去来する

2022年05月15日

沖縄本土復帰50年の記念日に思うこと

 5月15日は「沖縄本土復帰記念日」。昭和47年に沖縄が本土復帰する前、当時の首相だった佐藤栄作が発した「沖縄が帰らずして日本の戦後はない」との言葉は、当時未だ小学生だった愚生にも大きく響き、その記憶は今も消えることはない。

 戦後、米国に統治されたのは沖縄だけではない。伊豆諸島は昭和21年3月22日に支配下に置かれた一つ。統治された吐噶喇(トカラ)諸島は昭和27年2月10日、翌28年12月25日には奄美諸島、38年6月26日には小笠原諸島が本土復帰した。

 言い方は悪いが、これが米国による統治だったから好い様なもので、旧ソ連(ロシア)に侵略され不法に強奪された南樺太や全千島列島は未だに返ることはなく、旧島民の方々が故郷へ帰ることすら儘ならないことを思えば恵まれている。

 沖縄では「米軍基地反対」さえ叫んでいれば平和が訪れると思っている県民も少なくないが、「反基地運動」にしても米国だから許されているとは思わないか。

 沖縄ではマスコミの偏向報道の影響から、未だに「日本は沖縄を見捨てた」「日本は沖縄を捨石にした」「日本軍は沖縄の敵であった」などとの声を耳にする。

 先の大戦では決して沖縄を見捨ててはいないし捨石にしてはいない。沖縄と祖国日本を救う為に散華された英霊が存在していることを忘れてはならない。

 先の大戦での「沖縄戦」に於いて、劣勢を覆す為の特攻攻撃が行われた。特攻戦死者の実に76%が沖縄戦で亡くなっている。鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1036名が散華している。

 特攻作戦は航空の他に、特殊潜航艇、回天魚雷、空挺特攻、対戦車特攻、震洋特攻艇、陸軍海上特攻など、様々な工夫に拠り劣勢を覆す為の特攻攻撃が行われた。

 沖縄集団自決の軍命令が問題となっている座間味を始め渡嘉敷両島に於ける梅沢、赤松部隊は元々島の防衛隊ではなく海上特攻の部隊だった。米軍がこうした事情を察知して特攻艇を先制撃破した為に止むを得ず上陸軍と戦闘を行ったのだ。

 戦艦「大和」が沖縄戦の為に出撃したことも特攻攻撃の一つであり、「大和」が沖縄に到達した暁には、海岸に乗り上げて全力を挙げて砲撃戦を行う予定だった。

「大和」には歯磨き粉と歯ブラシ50万人分などの民生品を大量に積み込んでいたことを鑑みても、沖縄と沖縄の人々を必死で護ろうとした何よりの証明と云えよう。

 沖縄本土復帰を記念して喜ぶのは好い。だが、反米・反基地ばかりが問題視され、散華された英霊に対する感謝の声が全く聞こえて来ないのは悲しいことだ。

 沖縄では「米軍基地反対」さえ叫んでいれば平和が訪れると思っている県民も少なくない。だが、現実問題として米軍撤退はイコール中共に因る併呑を意味する。

 米軍を否定するならば自衛隊の自主防衛や防衛力の充実を訴えるべきだと思うが、沖縄左翼は、摩訶不思議なことに自主防衛は語らない。これこそが何を況や。

 沖縄全体がきちんと突き詰めた防衛議論が為されない儘に、安っぽい平和主義と過剰な被害者意識から、日本政府と米軍にその怒りの矛先が向けられている。

 政治家も口々に「平和を守る」というスローガンを掲げて有権者に訴える。だが、軽々しく「平和」を口にはするが、どうやって我が国の平和を創造するかという具体策は言わない。所詮は党勢拡大の為だけの口先だけの「平和」でしかない。

「戦争を誘発する大きな原因の一つは、アンディフェンデッド・ウェルス(無防備の害)である」と訓えたのは三島由紀夫だが、平和の意味も分からず軽々しく「平和」を訴えている政治家こそが政治や外交を危ぶみ、戦争を誘発する最大要因となる。

 米国製の日本国憲法を有難がり、第九条を掲げ、自衛隊が無くなれば当たり前に平和が存在するのだと疑って止まないが、そういうのを思考停止という(笑)

 平和を守るには自衛隊の存在が不可欠で、自衛隊を更に有効に且つ自衛隊員の安全確保に安全関連法案は必要であり、自国の防衛を否定する現憲法には問題があると言った途端に反発を食らう。我が国は正に思考停止状態で平和ボケは目に余る。

「オストリッチ・ファッション」という言葉がある。オストリッチとはダチョウのことだが、ダチョウというのは面白いもので自分に危機が迫ると穴に首を突っ込み、危機を見ないようにして危機から逃れたつもりになるという。

 欧米諸国は日本のことを「オストリッチ・ファッション」と嘲うという。「軍事」「戦争」「憲法改正」「核武装」と言った途端に、危機を遠ざけるかの如くに思考停止に陥る日本人を揶揄した言葉だが、恥ずかしいが正しくその通りだろう。

「平和」の反対が「戦争」ではない。平和の反対は「混乱」である。戦争は政治や外交の延長線上にあるもので、国際法上認められた正当な行為である。

「平和」は当たり前に存在してるものではない。戦後の我が国の平和というのは単なる偶然と米軍の御蔭でもある。「当たり前」の反対は「有り難い」であり、その稀にある「平和」という偶然に「有り難い」と感謝することは当たり前のこと。

 悲しい哉、日頃軽々しく「平和」を口にしてる連中というのは、この存在した平和を有り難いことであるという自覚が無く、「当たり前」に存在することなのだと勘違いしている故に、平和に貢献してる米軍や自衛隊に感謝することもない。

 我が国の平和というものは、単に日米安保条約や米国の核の傘の下でのまやかしの平和であり、そんな薄っぺらな平和に現を抜かしているのが現状なのだ。

 我が国の平和が、米国の庇護の下での存在であることに気付きながら、その米国に感謝するどころか批判し、米軍をも否定する。であるならば、眼前の危機に対し自らが立ち上がり平和を創造すべきなのだが、何故かそれをも否定する不思議。

 沖縄本土復帰50年に当たり、我が国もそろそろ「オストリッチ・ファッション」から覚醒し、米国依存の体制からの脱却を図り、自主防衛の確立を急ぐべし。

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cordial8317 at 05:59│Comments(0)

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いつも乍ら「ご冥福」という言葉の氾濫には違和感を覚えるなぁ「海軍記念日」の5月27日という日は様々な想いが去来する