「反米」でありながら米国製の憲法を有り難がり、GHQの戦後弱体化政策の実行を謀る売国政党園児に偏った考えや狭い視野を押し付けてしまうことになる(嗤)

2017年03月01日

森友学園騒動と「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」という古諺

 弥生三月、朝まだき身を清め、神饌を新しくし、神棚と南方に向い、陛下の弥栄と両陛下のベトナム御行幸の無事を祈り、併せて心願成就を祈念する。

「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」。何事も遣り過ぎというのは足らないことと同じく好くないことと訓える。森友学園報道を見ていて思うのは、野党の安倍への攻撃とかではなく、学園側の園児への政治利用はチョッと遣り過ぎだろう。

 式典で国旗を掲揚し国歌を斉唱することは素晴らしいし、「孝行」「友愛」「夫婦の和」「朋友の信」「謙遜」「博愛」「修業習学」「知能啓発」「徳器成就」「公益世務」「遵法」「義勇」の徳目を実践すべく教育勅語を朗誦し、愛国心を育むというのは大事なことだと思う。未だ判断能力のない園児には遣り過ぎだ。

 安保法案がどうとか、「自分達は選ばれし民族」だとか、園児に「日本人ではなく日本民族」と連呼させて悦に入ってるが、韓国や中共に対する政治的な問題や民族差別を植え付けるかのような教育は、北朝鮮の「反米教育」や韓国の「反日教育」とどっこいどっこいで教育というより洗脳そのものではないか。

 創価学会を始めとするインチキ宗教や北朝鮮じゃあるまいし、幼い子供にそんな言わせたり、思想の植え付けは世間から見れば奇異に映るし、幼児教育としては異常であると断じられても致し方ない。子供は伸び伸びと大らかに育てるべし。

 教育勅語の暗唱といったこうした洗脳教育では、子供達の世界観や視野が逆に狭くなってしまう。中学時代、日教組だった担任・副担任に嫌気が差して右翼に共鳴した愚生の例を挙げるまでもなく、そうした強要に反発することも考えられる。

 4月に開校される予定だった全国初の神道系の学校法人・瑞穂の國記念小學院も、マスコミや野党らの反発もあって開校は難しくなってしまった。神道系なら愛国心や教育勅語といった勇ましい愛国心ではなく、もっと神道に拠る大らかな大和心を育むべきだろう。抑々、日本人の信仰である「神道」とはどういうものか。

 日本書記に「豊葦原の千五百(ちいほ)秋の瑞穂の国は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地なり。宜しく爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)きて治(しら)せ。行(さきく)ませ、宝祖(あまひつぎ)の隆えまさむこと、当に天壌(あめつち)と窮(きわま)り無かるべし」 (読み下し文)と在る。日本列島統治に於ける皇室の正統性、皇室及び国の永続性を祝福したものである。

 自然は、人智の及ばない大いなる存在である。雷雨や日照りや嵐を人間は制御することは到底出来るものではない。人々は自然を征服すべく挑み続けるか、それとも自然と共に生きて行くか。賢明なことに我が国の先人達は自然との共生することを選び、現代に生きる我々もその道を歩んで来た。

 自然は一瞬のうちに暴れ回り甚大な被害を与えたりもするが、同時に無限の恵みを齎してくれたりもする。自然の織り成す新羅万象を「神」と呼び、豊穣を齎してくれた「神」を称え、荒ぶる「神」を畏れ鎮め、人々は「神」と共に生きて来た。

 新羅万象の全てが「神」の姿で、山の神、海の神、岬、谷、森、石、水・・・そして人もまたその神の在る景色の一部に過ぎず、これこそが八百万(やおよろず)の神であり、その教えが「神道」なのである。 日本と日本人の固有の信仰である随神(かんながら)の道はこうした世界観の中から生まれた教えである。

 そんな日本という大らかな国に生まれた奇跡に感謝すべきというのは当然だが、「自分達は選ばれし民族」というのは一神教に在りがちな高慢さでと同じあり、日本人の抱く美意識とはチョッと違うと思う。涵養すべきは大和心である。

「我が国は 神の末なり 神まつる 昔の手振り忘るなよゆめ」(明治天皇御製)

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cordial8317 at 06:54│Comments(0)

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