第七十六代内閣総理大臣の海部俊樹の死去に思う「死後の幸せ」を意味する「冥福」は宗派によっては使用してはならない

2022年01月17日

天の怒りか地の声か そもただならぬ響きあり 民永劫の眠りより 醒めよ日本の朝ぼらけ(青年日本の歌・昭和維新の歌)

 一昨日、南太平洋トンガ沖の海底火山で大規模噴火が発生し、太平洋沿岸や奄美群島などに津波が押し寄せた。幸い我が国の被害は小規模だったが、トンガでの被害状況が不明なのが気になる。我が国も世界に先駆けて支援を表明するべきだ。

 平成7年1月17日午前5時46分、淡路島北部沖の明石海峡を震源として、マグニチュード7.3の兵庫県南部地震(後に阪神淡路大震災)が発生した。自衛隊に批判的な日本社会党の村山富市政権だったこともあり、多くの犠牲者を出してしまった。

 大都市の直下型地震は我が国では初めてのことで、村山政権の対応など多くの教訓を残した。だが、残念ながらその後に起こった東日本大震災を始めとした災害を見る限り、危機管理や災害対策で万全な体制を執って来たとは思えない。

 何故に我が国は眼前の危機に対して、三島由紀夫が指摘した通り、敗戦の汚辱を払拭せずに戦後の経済的繁栄だけに現を抜かし、国の大本を忘れ国民精神を失ひ、本を正さずして末に奔り、国家百年の大計を米国に依存することが当然と考えている。

 大東亜戦争の大義も知ることなく、敗戦という教訓を活かすことなく、唯々「反省と謝罪」を繰り返してきたことで、国家としての大義を忘却してしまったことこそが抑々の間違いであり、我が国が未だ主権国家として体を成さない元凶である。

 阪神淡路大震災、そして東日本大震災等で被災された多くの方々の犠牲を無駄にすることなく、今後の我が国に押し寄せるであろう災害や危機に対し、万全なものとなる様に更なる高度な対策を構築しなければならないのは言うまでもない。

 阪神淡路大震災が起こった際の首相は、史上最低・最悪の村山富市だった。党利党略を優先する余り、国防や国益を死守しようなどとは毛頭にも無い、こうした無能な左翼のアホを持ち上げ連立を組み、首班指名した自民党にも責任が在る。

 村山が首相指名を受ける前年、羽田内閣が少数与党内閣となり総辞職。政権復帰を目指した自由民主党は、日本社会党(村山富市)・新党さきがけ(武村正義)と連立政権を組むことに合意するが、その自民党総裁も最低・最悪の河野洋平だった。

「自衛隊違憲合法論」を標榜する社会党の委員長だった村山は、被害が拡大していく中で、自衛隊違憲合法論に拘る余り自衛隊の出動に難色を示し、結果、その対応の遅れと拙さから数千人もの助かる命が失われたことは断じて赦されるものではない。

 自衛隊への出動命令の遅れを批判された村山は、驚くことに「なんせ、初めてのことじゃけ~」と他人事の様に語った。こんなのが総理大臣だったのが恥ずかしい。

「言い訳は見苦しいばかりではなく同じ過ちを繰り返す」とは徳富蘇峰。その後、村山は、日韓併合の植民地支配と大東亜戦争を「侵略」と断じて「村山談話」を発表し、慰安婦問題で火に油を注いだ。国民を救えず歴史を改竄し国益も害した。

 東日本大震災時の首相であった菅直人も、現場視察強行やSPEDDIによる数値隠蔽で、要らぬ被曝を招いたこともまた然り。最低・最悪の政権の時に何故に史上最悪といえる天災が起こるのだろうか。これはやはり、天譴だったのではなかろうか。

 青年日本の歌(昭和維新の歌)に「天の怒りか地の声か、そもただならぬ響きあり、民永劫の眠りより、醒めよ日本の朝ぼらけ」との一節がある。我々は歴代政府の不作為を剔抉粛清し、国内に蔓延るあらゆる不条理を糺さなくてはならない。

 不条理の代表的な存在といえるのが自衛隊だろう。昭和25年8月9日の警察予備隊発足以来、昨年末までで実に2019名の自衛官が殉職されており、昨年も18柱が合祀された。詳細は、陸自1086柱、海自470柱、空自432柱、機関31柱に上る。

 阪神淡路大震災や東日本大震災を始め、災害派遣や我が国の平和と独立、国民の生命財産を守る為の活動や日夜行われている厳しく危険な訓練などで、2019名以上の自衛官が殉職されていることを果たして国民の何人が知っているのだろうか。

 国家の防衛と国民の生命・財産を守るべき自衛隊が、災害派遣という都合の好い便利屋的な任務で殉職していることも知らされないというのはどうしたものか。

 こうした殉職自衛官に対し、国家や国民が感謝するのは当然だが、悲しい哉、日本共産党や日本社会党を始めとしたクソ左翼どもは自衛隊を否定し、訓練さえも批判する。況してや殉職された隊員に対し感謝する気持ちさえ持ち合わせていない。

 殉職された隊員に対しては如何に慰霊・顕彰すべきなのか。殉職自衛隊員の慰霊と顕彰の処し方や現役自衛官の処遇は、財政再建や社会保障よりも優先されるべき喫緊の課題であると考えるが、未だ自衛隊は違憲の存在の儘に放置され続けている。

 自衛隊殉職者追悼式は市ヶ谷駐屯地内の慰霊碑の前で政府関係者と自衛隊関係者のみで行われる。殉職された自衛官は、靖國神社に祀り、国民が感謝の誠を捧げるべき存在であるとだと思う。然し、如何せん自衛隊の存在があやふや故に儘ならない。

 三島由紀夫は嘗て檄文の中で、「自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず・・・」こう喝破した。自衛隊は三島が憂いた様に、未だ違憲状態の儘、放置され続けている。

 日本国憲法第九条第一項で「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と宣言している。

 第二項では「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と明記されていることでも分かる通り。悲しい哉、好き嫌いは別にして自衛隊は明らかな憲法違反の存在なのだ。

 こんな不条理がいつまでも赦されて好いとは思えない。阪神大震災や東日本大震災など毎年起こる災害で救援活動や民生支援など正に命を賭して活動し、日夜訓練に励む自衛隊員と自衛隊の存在を、まともな日本人ならば誰も否定はしまい。

 安倍元首相は「集団的自衛権」に対し、憲法解釈などという姑息な手段でその場を凌ぎ、安保関連法案の際にも同じ轍を踏んだ。何故に堂々と現憲法の矛盾点を指摘し、自衛隊を名誉ある軍にしようとしないのだ。現憲法の矛盾や不条理を解消することに、誰に何を慮るというのか。これ以上の政治の怠慢は断じて赦されない。

 我が国の危機管理と防災と国防が万全盤石なものとなり、より高度な対策が構築されて行くことが、阪神淡路大震災や東日本大震災等の災害で犠牲になられた方々の無念さに応える唯一無二のものであると信じて止まない。合掌。

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cordial8317 at 09:01│Comments(0)

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