「騙し討ち」という汚名を灌ぐことなくパフォーマンスを優先する安倍首相親米保守派というのは安保条約の必要性を頻りにアピールするが

2016年12月27日

「戦争の惨禍は二度と繰り返してはならない」との所感を嗤う

 安倍首相御一行様はハワイ到着後、「衝突事故で亡くなったえひめ丸の慰霊碑に献花した」というニュースが報じられた。平成13(2001)年2月10日、ハワイ沖で愛媛県立宇和島水産高等学校に所属する漁業練習船「えひめ丸」が、急浮上した米国海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」に衝突され、高校生ら9名が亡くなった。

 この事件は、原潜「グリーンビル」が、えひめ丸が海上にいることを確認していながら急浮上した訳で、これは衝突事故ではなく、殺人行為であり事件である。

 同原潜に同乗していた民間人は反日団体の「ミズーリ保存会」のメンバー。「ジャップの船だ、驚かしてやれ!」という気分が横溢していたことは想像するに余りある。「えひめ丸」の悲劇は、日本人蔑視から起きたと言っても過言ではない。

 閑話休題。安倍首相は、ハワイ州での首脳会談と犠牲者への追悼に先立ち、「戦争の惨禍は二度と繰り返してはならない」との所感を述べたが、広島の「安らかに眠って下さい・・・」のあの自虐史観逞しい記念碑とどっこいどっこい。

 こういうキレイゴトで戦争が無くなればそれに越したことはないが、「戦争」とは国際法上認められてる行為であり「悪」ではない。我が国が二度としないと宣ったところで、また米国との絆を深めようと努力しようとも、米国という国は一旦国益が損なわれることになれば、掌を返しまた我が国に無理難題を仕掛けてくるだろう。

 今や、米国による自己中心的不正非道に苦しむ非西欧諸国の多くが唯一最大の外敵、脅威と考えているが、米国こそ先の大戦と第二次大戦後の傲慢不遜な態度を改め猛省しない限り、戦争も現代戦争であるテロの脅威も治まることはない。

 戦争とは、米英は「戦争とは政治の継続である」と教え、ドイツでは「戦争とは別の調停手段を伴う政治的な取り引きの継続である」と教える。要は、戦争とは政治や外交の延長であって、戦争を避けたいならば、政治家こそがもっと国家観を重んじながら、歴史観、人間観、世界観、そして高度な権謀術数を身に着けることだ。

 我が国は先の大戦で負けて「悪」となってしまったが、その洗脳はGHQの占領政策が功を奏したということ。そういう意味では先の大戦は、「一旦始めた戦争は決して敗れることがあってはならない」という極めて重要な教訓を残したと言えよう。

 歴史を振り返れば「戦争」とは相手を征服することで「征服」とは掠奪であった。7世紀に興ったイスラムでは掠奪は正しいと教え、中でも最高の戦利品は「女」だった。女を奪い犯すことは、その国家と民族の純粋性を奪い、征服者の血を入れることで征服が完結する。「征服」の定義とは、正に「掠奪」と「強姦」の歴史である。斯くして世界中の民族や国家は万古不偏、この定義に従って戦争して来た。

 ロシア(ソ連)軍は第二次世界大戦末にドイツベルリンに侵攻すると、僅か半年の間に13万人のドイツ女性を強姦して、うち1万人を孕ませた。このうち8千人は堕児出来たが、2千人は「目が寄った額の狭いロシア人顔」の混血児を生んだ。

 13世紀、欧州へ蒙古人はイランやロシアに混血児を残し、生まれた子供に蒙古系の血が出るとその子は社会から排斥された。米国人もロシア人と同じで、第二次世界大戦では英国で400件の強姦、欧州戦線では1万4千件の強姦を記録している。

 無条件降伏した日本国内でも、米国人やロシア人、戦勝国を気取る朝鮮人らは残酷に振舞まった。民家に押し入り妻や娘を強姦しては、抵抗すれば殺した。

 調達庁は実に2600人を超える人が殺されたと記録している。現在もチベットやウイグル、内蒙古で中共が相手民族に対し「民族浄化」という陵辱の限りを尽しているのは周知の事実だろう。だが、こうした世界とは違った国が存在した。日本である。

 我が国だけは日清戦争から「掠奪」と「強姦」を軍律で厳しく規定し、規定を破った者は厳しく処罰された。然し、生きるか死ぬかの戦場で、若い兵士に生理的なものにまで我慢を強いるのは逆に統率を失うと、街に在る「遊郭」で息抜きをさせた。

 その遊郭で働いていたのが慰安婦であって、売春婦が戦場にまで出張ることは当時は当り前のことだったのだ。 ジェームスディーンの映画「エデンの東」に、開拓時代にワゴンで売春婦が街を巡回する情景が出るが、あの関係と同じだ。

 戦場に遊郭を建て兵士に息抜きをさせるのは肝心で、これはまた当地での性犯罪を防ぎ、相手民族の尊厳を最低限保つことでもあったのだ。こうした日本人の配慮を知らずして、高給に集った売春婦を「従軍慰安婦」と称し、恰も軍が関与し、朝鮮人の女性を強制連行し名誉を傷付け「性奴隷」にしたとは言語道断という他は無い。

 過去の戦争での是非を論うことは大事なことではあるが、歴史の検証で大切なのは古今東西、世界に蔓延る覇権主義の克服を主張すべきであって、他国の覇権主義には目を瞑り、一方的に我が国だけが自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。

 我が国の戦後の平和というのは、確かに日米安保条約での米国の核と軍事力に因るところが大きいが、本来、平和というのは自ら創り出すものである。そういう意味でも米国に感謝しつつも袂を分かち、また米国への警戒を疎かにしてはいけない。

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cordial8317 at 07:17│Comments(0)

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