愚生は右翼人ではあるが愛国者だと思ったことはない(笑)我が国の死刑制度は「仇討ち禁止令」や「決闘禁止」に代わるもの

2023年12月14日

赤穂浪士の討ち入りを美学と捉えるか打算的と見るかは人夫夫

 その昔は、12月14頃になると「忠臣蔵」「赤穂浪士」が定番で、テレビでよく放映されていたが、仇討ちを美化するのを否定してるのか、吉良の「悪玉論」への反発からか、年末の恒例行事でもあるドラマが消えたのはチョッと寂しい気もする。

 赤穂浪士の吉良邸討ち入りは元禄15年12月14日とされているが、旧暦では元禄16年1月30日。旧暦だと月の満ち欠けは29.5日周期で、1日が新月だから14~15は満月の夜、30日だったとすると新月に近く薄暗かったのではなかろうか。旧暦の元禄15年は閏年である。つまり一年が13ヶ月あった年だから話がややこしい。

 映画や仮手本忠臣蔵で演じられている満月の夜だったという想定はやはり脚本だろうか。赤穂浪士の精神的支柱となったのが、陸奥国会津若松城下生まれで、「山鹿流軍学の祖」として知られている山鹿素行(やまがそこう)という人物である。

 素行は、江戸時代に於ける武士道の理論を確立した儒学者であり、素行の談話を筆記した「山鹿語類」は日本人必読の著である。山鹿の著した「中朝事実」では、世の学者の外国(主として漢土)崇拝を批判し、皇統の一貫を根拠に「日本こそ万国に卓越した中華・中国と呼ぶに相応しい国である」との日本主義を主張した。

 江戸時代267年の歴史の中で理不尽な御家断絶や御家騒動は他にもあったが、赤穂藩四十七士だけが「義士」と呼ばれ「武士道の華」と評価されたのは何故か。それは素行の「正義の遂行」の本義に基付く教えが在ったからだと言っても好いだろう。

  一方で、忠臣蔵の討ち入りに「大義」はなく、「忠義ばかりでなく子孫の将来まで考えて討ち入った」単なる「打算」だと断じる歴史家や批評家もいる。

「大石内蔵助は忠義心によって討ち入らなければ大石家は山科で帰農し、そのまま埋もれただろうが、けれど吉良を討ち取った結果、子孫は本家の浅野家に千五百石の高録で召し抱えられた」との意見があるのも確か。「葉隠」でもこう記されている。

「赤穂浪士の仇討ちも、泉岳寺で腹を切らなかったのが落度というべきだ。それに主君が死んで、敵を討つまでの間が長過ぎる。もしもその間に、吉良殿が病死でもなされた時にはどうにもならないではないか」。仇討ちというのは緻密な計画でやるものではなく、武士とは即刻「やられたらやり返す」というのが本道。事の「成否」は問題ではなく、「成否」より行為自体に意味が在ると訓えているが、なるほど。

 その上で、赤穂の武士を「上方の人間は小利口だから世間から褒められる様にするのは上手である」と嘲笑している。赤穂浪士の討ち入りを打算的と見るか否かは人夫夫。歴史というのは見方で変わるし、行為に何かを感じれば好いことである。

 我が故郷である二本松藩には代々、「必殺を期すには、斬らずに突くべし!」という刀法(剣術)が伝わっている。霞が城(二本松城)箕輪門前に建つ少年隊の銅像がその象徴だが、西軍に向かって「突き」をする少年の姿が模されている。

 浅野内匠頭が、吉良上野介を討ち損じたとの報に接した丹羽公は、「何故、浅野公は斬りつけたのか、斬りつけずに突けば好かったものを!」と酷く悔しがったという逸話が遺る。爾来、二本松では「斬らずに突け」が伝統となったという。

 浅野公と吉良公、東軍と西軍にしろ、それは喩え、敵味方と雖も武士としての生き様は今を生きる我々に何かを示唆しているのではなかろうか。今こそ、まやかしの平和に現つを抜かしてる我々は、懸命に生きた先人の覇気に学ばねばならない。

 余談だが、福島と米沢の峠(旧板谷峠)に赤穂藩の次席家老・大野九郎兵衛ら十六名の供養塔がひっそりと佇んでいる。泉岳寺での討ち入りに失敗した場合には、「吉良は倅の米沢藩主を頼り北上するだろう」と考えて、この峠に身を潜めていた。

 四十七士の本懐の報を受け、十六名はこの地で自刃した。何れにしても「仮名手本忠臣蔵」が日本人の美学を現し、多くの国民から愛されているのは確かだろう。

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cordial8317 at 08:02│Comments(0)

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