過去無量の いのちのバトンを受けついで いまここに 自分の番を生きている12月8日は一身を賭して重大な決心をされた日であり我々は決して忘れてはならない!

2016年12月06日

「ヤルタ密約」に領土占有の法的根拠なし!

 安倍政権下、ロシアとの北方領土交渉が進展するのではとの期待感が高まっているが、抑々、我が国の固有の領土は南樺太並びに四島を含む全千島列島であり、四島どころか二島先行返還論は我が国外交の失墜の象徴である。

 安政元年(1855)2月7日、江戸幕府は伊豆下田でロシアと交渉し「日露和親条約」を締結し、歯舞、色丹、国後、択捉の四島と千島列島の間に境界線が引かれ、樺太を混住の地と決めた。この日露和親条約が「北方領土の日」の論拠だが、締結したのは日本政府じゃなく江戸幕府ある。この日の北方領土の日には無理がある。

 維新後の明治8年(1875)5月7日、日本政府は榎本武揚を全権特命大使として派遣して外交交渉を重ね、ロシアとの間で「樺太・千島交換条約(サンクトペテルブルク条約)」が締結されるに至り、その結果、混住の地だった樺太の北側と千島列島を交換し、南樺太と占守島までの全千島列島が我が国に帰属した。

 北方領土が帰属して70年後、第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)2月4日から11日にかけて、米国のルーズベルト、ソ連スターリン、英国のチャーチルらがクリミア諸島のヤルタに集い密談が行われた。所謂「ヤルタ(秘密)協定」である。

 ルーズベルトは「南樺太のソ連に返還」「千島列島のソ連への引き渡し」を条件に日ソ中立条約の破棄を進言し、ソ連の対日参戦を促した。ソ連は、この密約に従ってドイツが無条件降伏した約3ヶ月後の昭和20年8月9日、「日ソ不可侵条約」破棄し参戦するとソ満国境を越え鬼畜の如き蛮行と、北方領土を強奪した。

 ロシア側は「ヤルタ密約(ヤルタ協定のうち極東密約)」を楯に北方領土の主権を主張しているが、この「ヤルタ密約」の有効性について、英国政府がヤルタでの会談が行われた翌年の1946年2月に疑義を呈していたことが明らかになった。

 英国立公文書館所蔵の英外交電報では「露の四島占拠根拠なし」として、米英ソがヤルタ密約を公表する2日前に、英外務省から全世界の在外英公館54カ所に「緊急且つ極秘」に一斉に送られた。「ルーズベルトが権限を越えて署名したことや、米上院の批准もない状況下での有効性について米国内で論議が起こるかもしれない」として、「(英国は)その議論に巻き込まれないよう注意すべきだ」と警告している。

 チャーチルが1941年8月、ルーズベルトと領土不拡大の「大西洋憲章」に署名しており、ヤルタ密約が大西洋憲章に反するとの英政府の認識が示された形だ。

 米国では1953年に就任した共和党のアイゼンハワーが年頭教書演説で、「あらゆる秘密協定を破棄する」と宣言し、56年にはアイゼンハワー政権が、「ヤルタ協定はルーズベルト個人の文書であり、米政府の公式文書でなく無効」との国務省声明を発表し、ソ連の北方領土の占有に法的根拠がないとの立場を鮮明にしている。

 ヤルタ協定に参加した米英が、ロシアの北方領土の主権に疑義を呈している中で、何故に当事国の我が国がロシアの主張を認め、旧ソ連軍の蛮行を赦し、四島どころか二島先行返還に拘るのか理解に苦しむ。こうした譲歩した返還要求こそが、事勿れ主義と軟弱土下座外交の象徴であり、未だに領土問題が解決しない元凶である。

 我が国は、米英の公式文書などを示しヤルタ協定の無効と、「樺太・千島交換条約」並びに「日露講和条約」の国際条約を論拠に、領土主権の正当性と即時返還を突き付けるべきだ。更には、終戦間際の蛮行とシベリア抑留への謝罪要求も然り。屈辱的二島返還論に騙され、友好条約が交わされる様なことがあってはならない。

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cordial8317 at 05:55│Comments(0)

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