人間死んだら終わり。極楽浄土は現世に在り。ドゥテルテ大統領の発言は実に快哉

2016年10月27日

憂きことの なほこの上に積もれかし 限りある身の力為さん

「憂きことの なほこの上に積もれかし 限りある身の力為さん」とは豪傑・山中鹿之助。斯くいう愚生といえば、右翼浪人を気取ってはいるが単なる無職のオッサンな訳で、日々の生活すら儘ならなくなってきた(自嘲)

 人生というのは、なるようにしかならないものだが、結果がどうであれ、それまでの努力は決して無駄なことではない。

「人事を尽くして天命を待つ」というが、その結果が悪くても諒とすべし。

 だが愚生にはその人事、強烈な努力が乏しいのは承知している(笑)

 逆境やピンチになると、人というのは潜在能力を発揮するものなのだが、その逆境やピンチはなるべき避けようとする人が殆どだろう。

 それだけ人間というのは弱いというか、危険(ピンチ)を察知する能力が優れているとも言えなくもないが、その危険を回避しようとして悪果を招いたりすることの方が多い。

「災難に遭う時節には災難に遭うが好く候」とは良寛和尚。「これ災難を逃れる妙法にて候」というのは蓋し金言であろう。

 どうにもならない運命などない。「一休さん」で有名な一休宗純は、死ぬ間際、弟子達に「自分が死んだ後、どうにもならないことがあったら、これを開けなさい」と遺言状を託す。

 やがて、彼の死後、弟子の中で大変困ったことが起こり、弟子達は師に救いを求めようとその遺言状を開けてみることにした。

 その遺言状には一言、こう認(したた)めてあった。

「大丈夫 心配するな 何とかなる」

 どうにもならない様なことは、「どうにもならない」と自分自身でそう思ってしまっているだけで、自己暗示の様なもの。

 本人は悩みや苦難と思っているが、実はそれほど大した悩みではなく、喩えそれがどんな悩みや苦難であっても何とかなるものなのだ。

 昔から「案ずるより産むが易し」と言うではないか(笑)

 余人の想像を絶する悲しみや苦しみを抱えて散華した特攻隊員や英霊の渾身の悩みに比べれば、我々の悩みや苦難などちっぽけなものなのだ。

 苦難とは危険を教える慈悲の鞭でもある。幸福と苦難は表裏一体であり苦難の本質を弁えれば、人生の苦難や悩みとはやはり天の与えた試練である。

 未だ起きてもいないことに、また将来のことを気に病んでいるよりも、今日を本気で真剣に生きるべきで、「一日一生」とはそういうこと。

 西郷隆盛は「艱難は楽しむものなり」と曰く。真っ黒な目の巨漢というイメージとは裏腹に、その生涯は常に死の影が付き纏っていた。

 それでも「死んだっていい。人事を尽くして天命を待つだけだ」という処生観を持ち、開き直って生きている様なところがあった。

 私利私欲や保身とは無縁で、清濁併せ呑む器用さもなく、その大人格故に多くの信望を集め、また自分の死に際でさえ実に潔い人物だった。

 悩みや苦難には意味があるということを理解すると共に、「何とかなる」という開き直りの処世観もまた大事なのである。まぁ、自戒を含めて綴ってはみたが、愚生の場合はチョッと開き直り過ぎてる感も否めない。呵々。

cordial8317 at 06:43│Comments(0)

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