自衛隊を「国軍」としてその存在と必要性を明確にせよ!憂きことの なほこの上に積もれかし 限りある身の力為さん

2016年10月26日

人間死んだら終わり。極楽浄土は現世に在り。

 一昨日の夜、故郷二本松市小浜の同級生から「葉在住の同級生がバイク事故で亡くなった」とメールが届いた。

 亡くなった友人とは小学校時代にクラスが一緒だったことがあるくらいいだっが、初老の同級会が岳温泉であり、仲間が盛り上がってる中、写真を撮る役を引き受けてしっかりやっていたことが思い出される。

 葬儀は千葉の葬祭場で営まれるらしいが、出席は叶わないので心参し、哀悼の意を表したいと思う。

 今はどの家庭も手狭になり、便利さもあって葬祭場を利用する家庭が多くなった。葬祭場の従業員は、連日繰り返される葬儀に慣れっこになり過ぎて、過剰な演出が目立ち辟易することも無きにしに非ず。

 参列者は、しめやかに故人を見送ろうとしているのであって、こうしたイベント的葬式に辟易している参列者も少なくなく、過剰に演出された葬式は故人を冒涜している様にも感じる。

 愚生の場合、「葬式」はやらず、死に顔は誰にも見せないで棺桶を閉じて早々に焼いてくれと言ってある。「年忌法要」や「偲ぶ会」などもやって欲しくないので身内や友人らにも申し入れしている。

 愚妻や倅だけに言ってたところで、残された身内が「何でやらないんだ」と文句を言われるだろうから、親戚や知人にも予め言っているが、追追、文書(最後について)で伝えておこうと思っている。

 人間死んだら終わり。全てが「無」だと思っている。極楽浄土は現世に在り。だからこそ自分の持っているものを惜しみなく与え、悩んでいる者や、自分より劣る者を如何に助けてあげるかが大事な事だと思う。

 葬儀屋の同級生や、石屋の後輩には悪いが、さっさと火葬して渓流釣りに行った山や川にぶっ散らかして欲しいものだ(笑)

 死というものは人に平等に与えられたもので悲しいものではない。別れも宿命であり、運命なのだから現実を諒として受け入れれば好い。

 宮本武蔵が晩年に書き上げた「独行道」に、「いづれの道にもわかれ(別れ)をかなし(悲し)まず」という一条が記されてある。

 では、武蔵という人物は血も涙も無い冷血漢だったのだろうか。

 酒を嫌いな人が「我、酒を絶つ」とか、タバコを吸わない者が「タバコを絶つ」などとは書かないだろう。

 「飲みたい」「吸いたい」と思うが、これを止めようと自分に誓願した者だけが「絶つ」と言ってこそ他人に訴え、響くものがあるのではないか。

 そう思う時、武蔵は寧ろ人一倍感情豊かな熱血漢であり、別離に人並み以上の涙を流しながら涙を見せまいと努力したに違いない。

 また武蔵の兵法書である「五輪書」には、「山水三千世界を万里一空に入れ、満天地とも攬(と)る」という一節が記されている。

 「万里一空(ばんりいっくう)」とは「世界はどこまでいっても空は一つ」「全てのものは一つの世界に留まっている」という考え方で、武蔵が修業の中で確立された思想の根本でもある。

 この解釈としては「動揺せず、常に冷静な気持ちで事に当たる」「一つの目標に向かって精進する」との意味だが、これが実に難しい。

 何か事が起これば冷静さなど忘れ右往左往。愚生も右翼浪人を気取り、時局に一喜一憂し、私感を尤もらしく披歴しているが、目先のことを語ることや、喧々諤々の議論なんぞに何の意味もない。

 天地自然や人間の大道を心得え、時の動きに従いつつも正義を踏み外さず、危機に際しても平時と同様に対処出来る心構えを涵養することこそ大事で、男の修業とは斯く在りたいものだ。合掌

cordial8317 at 04:20│Comments(0)

コメントする

このブログにコメントするにはログインが必要です。

自衛隊を「国軍」としてその存在と必要性を明確にせよ!憂きことの なほこの上に積もれかし 限りある身の力為さん