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2016年10月19日

「2島先行返還」に釘を刺し全千島列島の主権を訴える日本共産党

 日本共産党の志位が最近の政府が企てる「2島先行返還」に釘を刺し、「全千島列島の主権」を訴え、サンフランシスコ平和条約での千島関連条項の無効化を要請したがこの認識は正しい。更に言えば「南樺太」も我が国が主権を有している。

 共産党でも分かることが、自民党を始めとした保守を自任する政党や政治家が理解していないのは実に情けない。

 過去に国会に於いても共産党は「四島返還決議」の採択に反対しているが、この四島返還要求こそが、事勿れ主義と軟弱土下座外交の象徴であり、未だに領土問題が解決しない元凶と断じても好かろう。

 己の土地を他人に奪われて黙っている者はいないだろう。況してや、父祖伝来の国土が強奪されて泣き寝入りする民族が何処にあろうか。

 「北方領土奪還」、これは正に日本民族の悲願である。

 ところが、戦後70年以上も経った今日、北方領土問題は未だ解決の糸口すら見えて来ないのは一体何故なのか。思うに、領土そのものの重要性に対する認識不足と、如何に不法に占拠されたかの真相把握が欠如していること。更には、ロシアへの認識の甘さと対応の甘さ等が綯い交ぜとなった結果が未解決根源である。

 北方領土は「樺太・千島交換条約」並びに「日露講和条約」により、歯舞、色丹、国後、択捉の四島を含む北は占守(シュムシュ)島から得撫(ウルップ)島の全千島列島と南樺太が我が国固有の領土となった。

 先人達の外交努力を無視し、全千島と南樺太の主権が在るにも拘らず四島のみの主張を明記し、見す見す権利を放棄するとは理解に苦しむ。

「北方領土の日」は、ペリーが浦賀に来航した安政元年(1855)2月7日、江戸幕府は伊豆下田でロシアと交渉し、「日露和親条約」を締結し、歯舞、色丹、国後、択捉の四島と千島列島の間に境界線が引かれ、樺太を混住の地と決めたという認識が根拠となっているのだが、締結したのは江戸幕府で、日本国ではない。

 歴史には続きがある。明治維新を成し遂げた日本政府は、榎本武揚を全権特命大使として派遣して外交交渉を重ねた結果、明治8年(1875)5月7日、ロシアとの間で「樺太・千島交換条約(サンクトペテルブルク条約)」が締結されるに至り、その結果、混住の地だった樺太の北側と千島列島を交換し、南樺太と占守島までの全千島列島が我が国に帰属したのである。

 それから70年後の1945年(昭和20年)2月4日から11日にかけて、米国のルーズベルト、ソ連スターリン、英国のチャーチルらがクリミア諸島のヤルタに集い密談が行われた。この時、ルーズベルトは千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の破棄を進言し、ソ連の対日参戦を促した。

 「ヤルタ協定」では、「ソ連が日本との戦争に参戦すること」、「南樺太をソ連に返還すること」、「千島列島をソ連に引き渡すこと」などが決められ、この約束に従ってドイツが無条件降伏した約三ヵ月後の昭和20年8月9日、ソ連は「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄し参戦した。

 ロシアはその「ヤルタ秘密協定」を楯に北方領土の主権を主張しているが、ヤルタ秘密協定こそが国際法的にも意味を成さない協定であり、サンフランシスコ平和条約の千島関連の条項もまた然り。

 我が国は、ヤルタ秘密協定の無効と、「樺太・千島交換条約」並びに「日露講和条約」という国際条約を論拠に、領土主権の正当性と即時返還、更には終戦間際のソ連蛮行とシベリア抑留への謝罪を要求すべきで、「2島返還」に騙され友好条約が交わされる様なことがあってはならない。

cordial8317 at 10:48│Comments(0)

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